ソノマの暮らしブログ

カリフォルニア州ソノマに住んで25年。第二の故郷と決めた美しいワインカントリーで、ワインを追いかけて暮らしています。

魔の免許更新

先日、運転免許更新のために隣町のサンタ・ローザにあるDMV(Department of Motor Vihicles California agency) に行きました。DMVは非常に能率が低い事務所であることで悪評高い事務所です。業務内容は自動車やボートの登録、運転免許の発行と停止業務を担当する官庁と説明されています。

諸事情で金曜日に行くことにしました。休みを取ってくる人も多いだろうから待ち時間は3時間ほどと覚悟を決めて11時30分に事務所に行きました。

外に既に20−30人ほどが並んでました。まあ、この程度ならなんとかなるだろうと楽観的に考えたのですが、太陽が照りつける外の列は一向に動きません。入り口に到着するまで2時間。

事務所の中に入って、これで一安心と思ったのですが、こちらの列もほとんど動かないのです。窓から外を眺めると、前と同じくらいの人数が列を作ってました。

「エーッ嘘でしょう!」と思わず声を出してしまったら、前後の人が同感!という表情で頷きました。

「事務所内の列もここから椅子まで続いてるよ」私の前に並んでいた男性が付け加えました。入り口の壁から直角に右側の壁に沿って長い列。壁の後は椅子に座って、受付に人が行くと、椅子を一つずれて座るという滑稽さ。でも笑ってる場合じゃないのです。

なぜこんなに事務処理が遅いのかと観察すると、なんと!たった一人の男性が受付を担当していて、必要な用紙を取りに席を立つこともしばしばです。要領の悪い人も多くて、「住所変更してますが変更届を出してますか?」「ノー」男性は受付のカウンターから出て、ピンクの住所変更届けを取りに行って、しばらくして戻ってきて、「これに記入して郵送してください。それまでは運転免許の業務は始められないからね」と優しく説明してます。イライラしたりつっけんどんな態度で応対してしまいかねないのですが、この男性はとっても辛抱強いので感心しました。

もっともカウンターにアンケート用紙が置いてあって、名前入りで苦情申請ができるので、応対には気をつけるのでしょうね。

私の前に並んでる男性は「免許更新の支払いに来ただけなのに、これだもんね。娘を学校に迎えに行かなくちゃならないんだけど、間に合うかなあ」と嘆いてます。

オンラインで支払おうと思ったけど、まだ対応できてないというのを聞いて同感。私もオンラインで手続きができるというのをサイトで読んだので、前日1時間かけて口座を設立して、いざというページにたどり着いたら、「カリフォルニアはもう少しお待ち下さい」でした。

この魔の待ち時間を避けるには、予約を入れること(予約は早くて3週間後の朝9時が空いていた)、他の町の事務所へ行くことの二つ。他の町だと1−2時間待ちだと前列の男性が教えてくれたけれど、二人とも、数時間の待ちを覚悟でサンタローザヘ来てしまったのです。

彼は朝食も食べてないと言います。私は朝食は軽く取って、3時間待っても2時半には終わるだろうから、更新終了後にどこかのレストランでランチをしたらいいと思ってました。

ところが受付にたどり着くまでさらに2時間。列は永遠に動かないかもという錯覚に陥りそうでした。

3時半になりました。お腹が空いて血糖値が下がって、頭がフラフラして体が震えてきました。自動販売機も何もありません。近所にも何もないのです。

このまま帰って出直そうかなとも考えて、きつそうななおばさまが受付のカウンター内でなんやかやと動いていたので聞いてみたら、またこの列に並んで同じことを繰り返さなければならないというのです。

ようやく私の番が来て予約受付のカウンターで番号札をもらいました。これからまた番号を呼ばれるまで別の椅子に座って待つのです。

隣に座った綺麗な若いお母さんと「信じられね」という会話になりました。赤ちゃんと3歳になる子供をおじいちゃんに預けてきたので、心配だと暗い表情。彼女も更新支払いに来ただけなのに既に4時間待ってるといいます。

血糖値が下がって気分が悪いと言ったら、表示される番号を見て計算して、私の番号が呼ばれるまで最低45分はあるから、食べ物を探してくればいい、席はとっといてあげるからと言ってくれました。もう、これ以上の空腹は耐えられないと覚悟を決めて車を走らせたらセブンイレブンが見つかったので、フラフラしながらチョコレートとバナナとナッツを帰って席まで戻りました。

怖いおばさまがアンケート用紙を配ってます。二人で積極的に受け取って、質問に答えました。第1行目にサクラメント(カリフォルニア州の首都)の担当官庁の言葉としてファーストクラスのサービスを目指していると書いてあるので、マジ?と呆れました。「サービスは極端に不満」というボックスを二人ともチェック。

待ち時間に夫にメッセージを入れたら、「働いている人のせいじゃないから、意地悪な態度をしないように」というメッセージ。なるほど。この非常に能率の低いシステムを指示してる人はだれなんだ!この事務所の管理者の責任だとむかむか。

食べ物の効果が出て、ようやく落ち着いたら、私の番号が呼ばれたました。若い綺麗なお母さんが良かったネットにっこり。

手続きが終わって無事に免許更新ができたのは4時半。帰りがけに椅子に座っている女性と目があったので、指を5本示して「5時間!」と言ったらうなづいて、「朝8時だと空いてるだろうと思って来てみたら、長〜い列で一向に動かないので、一旦家に帰って午後2時にここへ戻ってきたの」と話してくれました。彼女は多分3時間待ちでしょう。

サンタ・ローザの事務所だと、何曜日でも何時でも結局は魔の待ち時間を体験しなければならないということなんでしょう。

サンフランシスコ空港とか銀行とか、ショップなどはコンピューターを駆使して、能率的にどんどん処理してくれることに慣れていたので、5年ぶりにひどく能率の悪い事務所を訪れてショックでした。

コンピューターが発明されて錚々たるITが集まっているシリコンバレーがあるカリフォルなのに、なんでこんなに脳率が悪いままなのか不思議でした。

民間は利益集中主義だから、お客さんの心地よさ、便利さに重点を置いているけれど、官庁は何時間待とうがさして問題にしないんだなあということに気がつきました。そういえば町にある郵便局(政府が所有)もいつも長〜い列で、じっと待つのが当たり前。そしてカウンターの半分の窓口は空席。

アメリカ(カリフォルニア)の官庁は住民に冷淡なのでしょう。

外に出ると来た時と同じように人々が並んでました。

どこのお役所も多少はスローかもしれないけれど、札幌で5時間待った経験はありません。

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ニュルンベルグの文書センター

4月半ばから5月にかけてドイツ、オーストリア、アルバニアへ行ってきました。

それぞれ、特色があって楽しかったです。

どこにあるかも知らなかったアルバニアですが、バルカン半島にあって、1990年まで鎖国状態だった国だということまでは調べて分かりました。なのであまり期待していなくて、不安と好奇心で夫に引きずられる形で行ってきました。行ってみて驚きました。まだまだ裕福な国ではないいですが、新鮮な野菜と魚介類肉類が豊富で、何よりもよりも驚いた(感激した)のはカフェ文化が発達していてあちこちにカフェがあってエスプレッソがイタリアと同じくらいに美味しいのです。

インターネットは大半のレストランでも使えました。速度も速かったです。

きちんと舗装された山中の国道の端(傾斜地)をヤギが7匹くらいずつ草を食んでいて、山羊飼い?のおじさんがのんびりと後をついて歩いていました。

行ってみなければわからないもんだなあという感想です。

話が外れてしまいましたが、昨年の11月に次いでまたドイツのニュルンべルグに行ってきました。前回は交通手段を間違って、ナチ党大会会場文書センターへ行く時間がなくなってしまいましたが、今回は友人たちがベストの行き方というのを調べて教えてくれたので、無事について、十分に時間をかけて記録を見る(読む)ことができました。

ニュルンベルグはナチの軍部があった街で、戦争裁判が行われたことで知られていますよね。私も、それくらいしか知りませんでした。そしてかなり否定的な印象を持っていました。でも戦後のこの町の人たちは(多分ドイツ全体が)絶対に過去の過ちは繰り返さないという強い意志を持っていて、ドイツの友人たちはリベラルで人種差別に敏感でした。学校教育が徹底してるなあと感じました。ドイツはたくさんのシリア難民を受けれています。もっとも受け入れすぎで国に歪みが出てきていると、アメリカのメディアは報道していますが。

市内を走るバスに乗ったのですが、なんとバスの乗降口が歩道と同じ高さなのです。お年寄り(私も含めて)や体の不自由な人たちがよいっしょと頑張ってバスのステップをよじ登らなくてもいいのです。細かいところまで政策が行き届いているなあと感心しました。

ニュルンベルグはもともとは古い町で1800年代から繁栄していたんですね。1835年にドイツ初の鉄道が敷かれてます。

なぜヒットラーがこの町を選んだのか。

神聖ローマ帝国と関連があったこととドイツの中心部に位置していたことから、ナチ党は巨大なナチ党大会の場所に選びました。特にヒットラーが力を持ち始めた1933年にこの町で開かれた大規模な大会を宣伝映画?として作成、大きな影響を与えました。そして第二次世界大戦時は軍の本部として使われています。

1945年1月2日にイギリスとアメリカの空軍による大爆撃で1時間で町の約90%が破壊されたそうです。いうまでもなくこの町の多くの住民が死亡しました。

戦後、古い町並みを再現した地区があって良きヨーロッパを彷彿とさせて素敵でした。

広々とした文書センターには悲惨な事実が客観的に正確に淡々と記録されていました。本当にすごい規模でナチスは拡大して行ったんだなあと驚きました。600万人のユダヤ人が殺戮されたと記録に記載されていました。

高校生もセンターに来ていました。教育の一環なんでしょうね。静かに記録を読んで、最後のコースであるビデオを沈んだ様子で見てました。

ナチスが牛耳っていた当時、小学生だったという二人の女性の証言がビデオで紹介されていました。

「そんなひどいことが起こっているのは知らなかった。クラスの友人が消えて行ったけれど、お金持ちだからどこかへ休暇に行ったのかなあと思ってました」と二人は話してました。

そのことを友人のドーニャ(50代)に話したら、「うそよ。絶対に知ってたはず」とキッパリと言いました。同国人だから「そうかもしれないね」くらいで話を止めるのかと思っていたので驚いたと同時に、歴史を客観的に学んだのだなあと実感しました。そして最近、右翼が台頭してきたことに顔を曇らせていました。

この国で何が起こって、なぜ起こったのかを記録していて、学校での教育でも徹底して教えているようです。

日本では?

私は歴史のクラスで、日本が中国をはじめアジアを侵略した時代からなぜ世界第二次大戦に繋がったのかについては教えらませんでした。その前で終わってました。時間がなかったのか、政府の方針なのかはわかりませが、、、。

アメリカへ来て真珠湾攻撃について知りました(無知!!!)

今の日本の学校教育では、アジア侵略時代、世界第二次大戦を含む歴史が教えられているのかしら?

戦争記録史とか太平洋戦争映像記録史、ドキュメンタリーや戦争の残酷さを示したセンターはあるようですが、県や国が作った冷静に客観的にアジア侵略の経過を展示した歴史館、外国人や学校の生徒も訪れて学ぶ というのは存在してないようですね。

もし、今の学校教育でも私の時代と同じようにアジア侵略から終戦に至るまでの経過が教えられず、スキップされているとしたら、日本が万が一、国際的な危機に陥った時、どんな風に判断するのかなあと、不安です。

きちんと客観的な事実を把握していないと、ソーシャルメディアの偏った情報に翻弄されかねません。

実際にトランプ大統領の選挙のときに、ロシアがソーシャルメディア(フェイスブック、ツイッターなど)を使って流した大量のうその情報を何百万という人たちが信じて、トランプに投票しています。

アメリカに住んでいると、情報操作が日常的にされているのを肌で感じます。どの情報が正確なのか、情報元をきちんと調べてないと、方向性を失ってしまいかねません。

日本はまだ大丈夫なんでしょうね。

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March for Our Lives (私たちの命のための行進)

3月24日、日曜日に高校生が組織した大規模のデモンストレーションがアメリカ国内、そして世界中で(約800カ所)繰り広げられました。ニュージーランド、オーストラリア、イギリス、ベルギー、インド、フランス、中国、そして日本も参加したと記事にありました。

ワシントン市では80万人がデモに参加したと報道されています。

夫はサンフランシスコで、私は諸事情からソノマのプラザで開催された銃規制法成立を求めるデモに参加。サンフランシスコはかなりの規模だったと夫が言っていました。ソノマもプラザの公園を囲む通りをデモ行進。老いも若きもたくさんの人が参加していました。

ご存知のように2月14日にフロリダ州の高校で19歳の元この学校に通っていた男生徒によって17人の生徒と先生が殺されました。大量殺人です。言うまでもなくAR-15, 半自動ライフル銃が使われました。缶ビールは21歳にならなければ買えないのに、AR-15は買えるのです。

たったの6分20秒で17人が殺されました。

東海岸は西海岸より3時間(時差のため)早いので、午前中にワシントン市での集会の様子がテレビで報道されてました。高校生(スピーチは全員が高校生)の一人、女子高校生が、今日は殺された友人の18歳の誕生日だと涙ながら話して、ハピーバースディの歌を全員で合唱。彼女の悲しさが伝わってきて、見ている私も涙が出ました。いつもは硬派のリベラルなジャーナリストもティッシュペーパーで涙を拭きながらコメントしてました。

この若者たちは本来なら、高校生活を生徒として過ごしていたはずなのに、突然のライフル襲撃を受けるという残酷な事態に巻き込まれ、嘆き悲しむだけではなく、怒りを銃規制法成立要求運動へと怒りを転換しました。大人がうやむやにしている中で自分たちで運動を繰り広げることを、言ってみれば強いられたわけです。アメリカの高校生(小学校も大学も)は、いつ銃による襲撃が襲ってくるかと恐怖心を抱えて学校に通っています。

ソノマの小学校では子供たちがこの事件を知って動揺したので、学校としてはどのように対応するべきか悩んだそうです。

まず亡くなった方たちのために黙とうをして、生徒全員が先生たちにとって、とても大切であること、安全で楽しい場所にするために、頑張っていることを伝えたそうです。

もし誰かが助けが必要だと思ったら、助けてあげるように、何かおかしいと思ったら、両親か先生に伝えること。親切な心を世界中に広げることが出来るはずと伝えたとのこと。上級生はそのことについてクラスで話し合ったそうです。

小学校では、毎月、火災と地震の避難訓練をしています。それに加えて構内で緊急事態が発生した場合に、カギをかけて隠れる訓練も年に2回しています。

私が小学生だったら、テレビで学校の襲撃事件を知って、こういう訓練を受けたりしたら、学校へ行くのが恐ろしくなるだろうと思います。

基本的に暴力社会であるアメリカでは安全な環境で学ぶはずの学校に、銃による襲撃があるかもと覚悟して通うんですね。

大規模な集会とデモを短時間で組織した若者たち、そして全米でデモ行進に参加した若者たちが18歳になって選挙権を得た時、多数が銃規制法の成立を主張する議員に投票して、法律が成立することを祈るばかりです。

日本の高校生は幸せですね。

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