ソノマの暮らしブログ

カリフォルニア州ソノマに住んで25年。第二の故郷と決めた美しいワインカントリーで、ワインを追いかけて暮らしています。

私のヒーロー、パットさん

My hero Museum

先日、90歳のパットさんをお誘いしてソノマの街にある小さな美術館に行きました。なかなか素晴らしい絵画と写真集のコレクションを展示していると聞いたからです。
パットさんは隣町のサンタローザから45分ほどかかるソノマへ、一人で車を運転してやってきました。

My hero Pat at museum

館内に入ると鑑賞者は女性一人。静かでスッキリしていて気持ちよさそうです。受付を終わって、さあ、鑑賞を始めようと思ってふと後ろを見たら、パッとさんが車椅子を借りています。
「申し訳ありません。車椅子しかなくて」と係りの男性が言ってます。
「いいのよ、歩くのは大丈夫なんだけど、じっと立っているとふらつくことがあるので、念のために押して歩きたいと思ってお願いしました」にこやかに答えています。

パットさんは、自分のペースで作品の鑑賞を始めました。それで私も自分のペースで好きな作品の前で少し長めに立ち止まったりしながら鑑賞。
すべて見終わった地点でパットさんが待っていて「もういいの?もう一度見たい作品とかある?」と心使いをしてくれます。
「素晴らしい作品ばかりで驚いたわ。次の展示が発表されたら、ぜひ教えてね。また来たいから」
作品を鑑賞する目が確かです。
出口で車椅子のお世話をしてくれた担当の男性ににっこり笑いかけてお金(寄付)を渡していました。

美術館を出て、プラザにあるEl Dorado Kitchen とういうレストランのテラスでスイーツと私はカプチーノ、パットさんは紅茶を楽しみながらおしゃべり。
彼女とお話ししていていつも感じるのは、話がずれないことです。自分の思い出話だけとか孫自慢だけはなくて、政治、経済、映画、そして彼女の離婚の話を笑いながら話すので、二人でゲラゲラ笑ったりと本当に楽しいのです。
彼女が日米交流の世話をする仕事をしていた時の話、経済関係の非営利団体の世話役を務めている話と話題がつきません。歳はまるで関係なくて、あっという間に時間が過ぎました。晴れ晴れとした気持ちでレストランを後にしました。

My hero Pat tea

会話中に、私に質問を投げかけることも忘れません。会話に誘い込みます。
「エミは本を読んでる? 私は今、チャーチルがどんな人だったかを書いた本を読んでるんだけど、時間を忘れしまうくらい面白いの」
「偶然ね。私は、今、トルーマン大統領の本を、ドライアイなので、読むのではなくて、オーディオで聞いているんだけれど、原爆を落とす決断を出すまでの経緯とか、とても興味深くてアメリカの歴史を知る参考になってる。歴史って面白いよね」
「私も歴史を学ぶのが大好き」彼女はソノマの大学で歴史のショートコースを取ったこともあります。

パットさんはケンタッキー州で生まれて、幾つかの南部の州で子供時代を過ごして、ケンタッキー大学を卒業しました。
若くして結婚。そして離婚。離婚前に住んでいた10部屋ある家をもらってお部屋を貸してそれを収入として、さらに働きながら、お嬢さん3人に息子さん一人を育てました。どの子供さんも独立して東海岸で暮らしています。息子さんは弁護士として日本に住んでいます。
その頃に部屋を貸していた学生さんの一人が前在日米国大使(エマニュエル氏の前)として東京に在日していた時に、彼のお母さんと一緒に東京に招かれて、楽しい日々を過ごしたと話してました。毎年クリスマス、誕生日のカードを交換し続けてきたそうです。

離婚後、とても素敵な男性、ボブと出会って、再婚しました。ボブは明るくて前向きの男性で子供達の全員がボブを慕っていたそうです。悲しいことにボブは15年ほど前に亡くなりました。ボブが亡くなってから大きな家に一人で住んでいますが、もし一人でいて転んで起きられなかったりしたときに、誰かがいると見つけてくれるからというので、若い女性に離れを格安で貸しています。

パットさんは大の親日派です。その経歴を聞くと納得です。前のご主人が大使館で働いて東京に派遣されたときに、パットさんは国際社会奉仕の一員としてアメリカ兵と日本人女性の間に生まれた子供の養子縁組の手伝いをしたのが、日本との交流に寄与する仕事を始めたきっかけです。その後アメルリカへ戻って、ワシントン・東京ウイメンズクラブ会長、ジャパンソサエティー・オブ・ボストン専務理事、アジア貿易推進部長、マサチューセッツ国際貿易事務所勤務と長年日本との交流に貢献する仕事をしてきました。ボストン時代にまだ独身だった雅子皇后陛下にお会いしたこともあるそうです。北海学園で英語を教えたこともあります。彼女は丁寧な日本語を話します(中級くらいかな?)
現在は、ソノマ・カウンティ世界問題評議会で長く務めていた会長をやめたのですが、それでも色々と指示を出してるのをよく見ます。

こうして彼女の役職歴を綴ってみて、パットさんてすごいポジッションでずうっと働いてきたことを改めて確認して驚いています。20年以上も知り合いなのに、錚々たるポジッションで働いていたことをひけらかすことがなくて、優しくてフレンドリーで謙虚なのです。

ひょんな縁でパットさんと知り合って、当時、レイが経営していた会社で働きはじめました。
「ソノマ・カウンティでいろんなボランティアをしたけれど、興味のある会話はなくて、刺激もないし、つまらないの。保険とかはいらないからレイが雇ってくれないかしら。条件は東海岸に住んでいる子供達に会いに行ったり、自由に旅行に出かけられること」
レイがオーケーしてから、なんと20年余り80歳半ばまで,レイの会社で働きました。レイの会社で働いていた同僚の女性とは、今でも月に一度ランチをしてるとのことです。

その間、いろんな国に旅行しています。ベンチャービジネスで大成功している長女との旅行が多く、アフリカまで行っています。一人でドイツの友達を訪ねたこともありました。
今年の春にお嬢さんとニューメキシコまで出かけて、「勇気を出してスノーケルを付けていろんなお魚を見たのよ、きれいだった」と誇らしげににっこり。

健康でぼけずに生き生きと暮らしている秘訣は?
*毎日、1日のスケジュールをメモ用紙に書いています。
*毎日散歩に行ってます。外へ出ない日は家でトレッドミル(ルームランナー)でエクササイズをします。
「体を動かさないとダメよ。動かさないと体のあちこちが痛くなってくるから」私の経験からも、本当にそうだと思います。コロナ前はヘルスクラブに通ってました。
*「1日誰にも会わないで家にじっとしてるのは耐えられない」
毎日、出かけるか、自宅で知人友人に会っています。例えば、毎週金曜日に12時から1時半まで4人の女友達(50代と60代)が各自ランチ持参でやってきます。1時半きっかりにお別れをして各自のスケジュールに戻ります。一度ご一緒させていただきましたが、話題が豊富で楽しかったです。いつもお誘いを受けているのですが、12時に彼女の家に着くにはランチを作って11時過ぎに家を出なければならないので、夜型の私にはちょっときついのです(汗)。
「私はテーブルをセッティングしてお水を出すだけよ」とパットさん。
「恵美、うちでランチをしましょう。私が何か作るから」と昨年、パン類が食べられない私のためにおいしいスープを作ってくれました。
自宅にソノマ・カウンティ世界問題評議会のメンバー30人をランチに招いたことがあります。もちろん彼女が料理をしました。小柄な彼女のエネルギーは、どこから出てくるのでしょう!
「ちょっときつかったから、もうランチに招くことはしないわ」80歳後半でした。
コロナ前はシンフォニーのシーズンチケットを持っていて、友人とコンサートに出かけていました。
*ズーム、Eメール、テキストを使いこなしています。コロナ感染防止外出禁止令が出たときから、週に一度、東海岸のお嬢さん達とズームでお話しています。隔週に一度、日本の友人ともズームで連絡を取り合っているし、ソノマ・カウンティ世界問題評議会の役員の方達とも頻繁にズームでミーティングをしています。
*助けが必要な人には見返りを期待しないでとても親切です。それも本当に自然なのです。

「私はエミのことを友達だと思ってるのよ」という積極さもにも敬服。
「書くという才能を持っているんだから、無駄にしないこと」と励ましてくれます。
「冬の曇った日や雨が降っている日は憂鬱になるのよ」というパットさんに
「私も同じ。そういう日は、家中の電気をつけて、家の中をぱっと明るくするの」と私。
雨の降る暗い冬の日にパットさんのお家に行ってみたら、センスのいいあちこちにあるスタンドに電気がついてました。良いと思うことはすぐに実行するのもさすがです。

何十年も知り合いにカードを送ったり連絡を取り合ったりなど、無精な私には無理ですが、常に世の中に興味を持って、なるべくいろんな人と会って、本を読んで、散歩をしてという姿勢は私も真似をしたいと思っています。

センスの良い家具と絵画、整然と整理された心地よい室内。キッチンとダイニングルームに、いつもお花が飾られています。プール付きの庭も綺麗です。いつも季節の花が咲いてます。家のお掃除や剪定は頼んでいるようですが、お花を植えたりは一人でしてると言ってます。

今週、東海岸に住むお嬢さん達に会いに10日間出かけます。もちろんひとりで。

90歳になっても独立して一人できちんと暮らしてるパッとさんは私のヒーローです。いつまでも、にこやかで生き生きとしたパッとさんでいて欲しいと祈っています。

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ドライアイの治療法

LipiFlow photo 1 RSZ

ドライアイで悩んでいる方がたくさんいらっしゃるかと思います。
目を守るのに欠かせない涙の量が不足したり、涙の質のバランスが崩れることによって涙が均等に行き渡らなくなる病気で、目の表園に傷がついてしまうこともあると、あるサイトに書いてありました。
高齢者、パソコンやスマートフォンの使用、コンタクトレンズ装着の増加に伴い、ドライアイ患者さんが増えているということです。
高齢者でパソコンとスマートフォンを頻繁に使う私も、長いことドライアイとの格闘(?)を続けています。
特に最近、症状が悪化して、車を30分運転していると、目が乾燥してしまって、物が霞んで見えて、運転するのが危険になってしまうのです。
車が靴であるアメリカ社会で車の運転ができないということになると、自由が大きく奪われてしまいます。運転を他の人に依存するというのは、独立感がなくなって悲しくなります。

悪化した原因は、スマートフォンの使いすぎです。ニュースフィードでどんどん入ってくるニュースを読んでると、あっという間に2時間かそれ以上の時間がたってしまいます。そしてパソコン。自主管理ができていない私にも責任があります。
私の母もひどいドライアイでした。弟が50歳で亡くなって、告別式に棺の蓋をするときに、「もう、行っちゃうの?」とまるで最愛の息子が生きているかのように優しく話しかけました。それを見た私は涙がボロボロ(その頃は若くてドライアイなんて関係なかったんですねえ)
でも母は涙を見せませんでした。
「気がしっかりした方ですね。涙、ひとつこぼさなかったですね」というご近所の方に、
「違うのよ、ドライアイで喉はヒクヒクなってたのに、涙が出ないのよ」と母。
就寝前にドライアイ用の目薬をさしてましたが、涙が出ないほどの深刻なドライアイとともに生きてたのだということが、今の私にはわかります。でも私にそれを嘆くことはありませんでした。私は家族にも友人にも嘆っきぱなしです(苦笑)

この5年間ほど、様々な療法をしてきました。
*涙と同じ成分の目薬をさす。
*ベビーシャンプーでまぶたを洗う(逆に目が乾いてしまいました)
*日本では温罨法と呼ばれていますが、新しいソックスに1カップの米粒を入れて縛って、レジで20秒ほど温めて、1日に二回、10分ほど目に当てる(効果はあるのですが、長期間当てていたら鼻にも当たっているので、鼻が赤くなってしまいました)
鼻に当たらないようになっている市販のアイマスク(電子レンジで20秒ほどあたためる)に変えて続けています。
*アイマスクで温めた後、まぶたをアイコットン?で拭くように(眼瞼清拭)という医師の指示に従って毎日実行してます。
*鍼医さんに通っています(体が慣れてしまったようで、以前より効果が薄れてしまいました)

新し治療法
メガネの調整にクリニックへ行ったらドライアイ専門の治療をしている先生が担当になって、新しい治療法を提案してくれました。。
LipiFlow という商品名前で出ている器具を使った療法でFDA(食品医薬品局 )に認可されています。同じ療法が違う商品名前でも出ているかと思います。
マイボーム腺機能不全の治療法です。マイボーム腺機能不全はドライアイ患者の86%が患っているというものです。まぶたの小さな腺が涙に十分な油を分泌しない症状です。涙のほとんどが水分ですが、水分が蒸発しないように涙の表面に油がのっています。その油を分泌しているのがまつげの付け根にあるマイボーム腺です。このマイボーム腺の働きが低下してしまう病気をマイボーム腺機能不全といいます。瞬きをするたびに涙腺から水分が、マイボーム腺から油が出るようにできています。LipiFlowは油が適切に出るようにするためにマイボーム腺の閉塞を取り除きます。
治療は簡単で、医師の診察室の椅子に座って、目の両まぶたをつまむような感じで15分ほど、まぶたのマッサージをします。
治療直後から目が潤ってきました。2週間ほどはかなり目が潤ってましたが、1ヶ月後になったら、スマートフォーンとコンピューターを使いすぎると、また目がかすんできました。でも治療前と違って、瞬きを15回ほどすると目に潤いが戻ってきます。
ソノマは空気が乾燥している上に、30度、時には38℃という高気温になって、目が見事に乾燥してしまいます。海辺に住んだらいいのかも(笑)
1ヶ月後に処置後のチェックに行ったら、まぶたに油の固まったものがあって、油が出るのを妨げていると言って、取り除いてくれました。するとドライアイが解消されて、物がくっきりと見えるのです。
目がかすむのは近視が進んだのではなくて、ドライアイが原因なのだということがわかりました。
症状はかなり良くなったのですが、もう一押ししたいとこころで、3週間ほど様子を見て、もう一度LipiFlowの治療をするかどうか決めます。この治療をすると1年は大丈夫なのだそうですが、私の場合は、あまりにも長い間この症状を直さずにいたので、腺がしっかりとふさがっているようです。
この治療後も、温罨法と眼瞼清拭を続けなければなりません。温罨法でまぶたを温めることでマイボーム腺の詰まりを緩和します。毛穴に似た構造のマイボーム腺の出口を開いて、油を溶かし、まぶたの血流を改善する効果があります。その後に、眼瞼清拭によってマイボーム腺から分泌されたけれど出口で詰まっている油をアイコットンで拭き取ります。

運転、パソコン、スマートフォーンの使用をやめなければならないのかと、心配しましたが、なんとか治療法があるようなので、安心しました。

日本のサイトを見ると、湿度を保つメガネが売られているんですね。アメリカにはありません。早くに日本へ帰ることができる日が来て、日本に帰ったら、ぜひこのメガネを買いたいと思っています。

ドライアイで苦しんでいる方がいらしたら、日本にこの器具が入っているかかどうかはわかりませんが、もし入っていないとしても、近いうちに入ると思います。ドライアイが改善される希望があることをお知らせしたくて書きました。

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白髪をなびかせて

Family

5年ほど前から白髪(シルバーといいましょう)をハイライトにしたヘアスタイルに変えました。

明るいブラウンに染めていたのですが、髪の毛と爪の伸びるペースが速いので、すぐに根元に白い毛が現れて気になります。それが面倒になって、何とか気にしなくてもいい方法はないものかと考えていました。

自然のままにするとごま塩頭になるし、一気に全部を白(銀)にするのは無理だし、、、。

10年ほど前のことです。髪を染めるのに疲れた友人のT 子さんは、白髪にしようと決心して美容院へ行きました。美容師さんは頭髪全体の色を抜いてブロンドに染めたのでした。鏡を見たT子さんはブロンドに染められた髪を見て心臓が止まるかと思うほど驚いたそうです。T子さんは自分の髪がブロンドになるとは思ってもいなかったのです。

ソノマに住む白人の友達はもともとは茶色だった髪の白髪を目立たないようにするために濃い目のブロンドにしてますが、地毛かと思うほど自然に見えます。

K子さんは明るい印象のきれいな人なので、ブロンドも素敵だと私は思いました。今は地毛がすっかり伸びてきれいなシルバー色です。

私の顔ではブロンドが似合うはずもなく、自然のままのごま塩頭だと、疲れた顔がもっと疲れて見えるので、それは避けたいと思って、何かいい案はないものかと考えてました。

「白い地毛をハイライトにしたら?」と娘が提案してくれました。で、美容師さんに相談したら「ぜひやりましょう」ということになって、一定の個所を染めずに伸ばし始めました。

要するにシマウマです(笑)

ハイライトというと濃い毛をベースに一部を明るい色にするスタイルで、大勢に人がしています。私はその逆です。

それで茶色に染めた髪の根元が伸びて白くなっているのじゃないかと気にしなくてもよくなりました。

白い毛が多くなって不便なのはシャワーをしたときに白い抜け毛が腕とかに付いても見えないことです(笑)

隣町に住むS子さんにスーパーの駐車場で偶然に会いました。ストレートの長い髪がきれいなシルバー色になってました。

「髪を白くしたらCAN I HELP YOU?って聞いてくれる人が多くなったわ」と笑ってました。

コロナ惨禍中、好天気に誘われて時々散歩をします。散歩していると、いろんな人と行きかいます。

30分の散歩なんですが、いろんな人生の一部が垣間見えます。

そんなある日の散歩で、2人と1家族が強く印象に残りました。

心地よい日差しを浴びて散歩してるのが嬉しくてたまらないと、さっそうと歩くベースボールキャップがよく似合うスタイルのいい中年の女性と笑顔で手を振りあいました。私と同じように感じている女性と笑顔を交換するだけで、なんか幸せな気持になりました。

きちんとした身なりの真っ白いソックスがまぶしい背の高い男の子(おそらく高校生)が、それはゆっくりと(のろのろと)うつむいて歩いています。追い越すときにちらっと見たら、とっても悲しそうな顔でした。帰り道にその子がベンチに座ってじーっと下を見ています。きっと辛くて悲しいことがあって、学校へいかなかったか、学校を抜け出してきたのでしょう。

「アー・ユー・オーケー?」と声をかけようと一瞬足を止めました。でも個人主義の国です。余計なお世話はしないほうがいいかもしれないと思って声をかけませんでした。今でも声をかけてあげるとよかった、いやいやそっとしておいてあげてよかったと、二つの気持ちが交互にわいて結論が出ません。

しばらく歩いてると、おじいちゃんとおばあちゃんと若い夫婦の家族が向こうから歩い来ました。生まれたての赤ちゃんが眠っている乳母車をおばあちゃんが押していました。あまり元気なおばあちゃんではなさそうで、それはゆっくりと、でも嬉しそうに乳母車を押しています。若い夫婦とおじいちゃんは、おばあちゃんのゆっくりとした速度に合わせて歩いていきます。ほのぼのとした光景でした。

若い頃の私は何かに追い立てられているように前のめりになって、急ぎ足で歩いていたものです。今は、心地よい日差しを浴びながら、季節に沿って変わる樹々や野の花を眺めながら歩くようになりました。

何十年も経っているだろう幹の太い樹々の葉が落ちて曲がりくねった枝が空に向かって描く見事な曲線、春になると、突然、新緑の葉が噴き出たと思うと、濃い緑色の葉が樹の全体を覆ってしまう夏、年輪を重ねた古い樹々を愛おしく思いながら歩く今日この頃です。

2年間、コロナ惨禍で美容室へ行けない間にすっかり長くなったシルバーのヘアーを風になびかせながら、歩いてるつもりなのですが、実際になびいているかどうかは確信がありません、でもシルバー色の髪を風になびいている気分で歩きましょう。

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