ソノマの暮らしブログ

カリフォルニア州ソノマに住んで25年。第二の故郷と決めた美しいワインカントリーで、ワインを追いかけて暮らしています。

病院のTransparency (透明性)

日本とアメリカでは保険のシステムが違います。日本では国が管理する健康保険にほぼ全国民が加入しているので、どの保険会社の健康保険を買おうか(加入しようか)、保険会社で受け入れてくれるだろうか、私で買える保険だろうかなんて、迷う(悩む)必要がないですよね。信じられないことに健康保険も資本主義が徹底した国、アメリカではビジネスなのです。根本的にいかに儲けようかという経営方針が最優先です。人の命もビジネスの対象なのです。
私はアメリカでは カイザー パーマネント( Kaiser Permanente) という 健康保険 プラン というかグループに入っています。1945年に設立されています。他の保険と 違うところは 、カイザー・パーマネントという病院がアメリカの8州と ワシントン DCにあって、 その病院だけに行けるということです。 どうしても他の病院に行くしかないという時には医師の推薦状が 必要かと思います。他にいろんな保険があって、どこの病院でも行けるという保険もあります。その点、不便と言えば不便ですが、 今のところ 私はカイザーで 間に合ってます。

Kaiser santa rosa RSZ
カイザーの良いところの一つに、例えばガンに罹ってしまったとします。カイザーは毎月支払っている保険料で最後まで治療をしてくれます。でも保険会社によっては、これ以上の治療費は支払いません、自己負担(日本の自己負担より総額ではゼロが一つ多い)になり、保険金による治療はストップされてしまうということもあるようです。お金持ちは自己負担はかまわないし、毎月高い保険料を払うプランに入っていれば、おそらく、最高の治療を受けられるでしょう。
日本でも保険外自己負担による治療ということもあるかと思いますが、アメリカは支払う金額のスケールが違います。
貧富の差によって人の命も左右されるというのは恐ろしいことです。

また便利なことの一つに、自分の担当医と E メールでやり取りができるので、 いちいち 往診に出かけなくてもいいというところです。簡単な風邪などは E メールで医師と連絡をとりあいます。先生が直接お話ししなくちゃいけないという時には テレビ電話、あるいは電話で行います。検査が必要という時には予約を取って病院に行きます。
1月に呼吸器系に影響を与えるひどい風邪をひいて、肺炎になってしまいました。私にとって肺炎は初めてではないので、Eメールでこういう症状なので、抗生物質を処方してくださいと連絡したら、コロナ、RSVそして年齢も関係しているのでしょう、すぐに電話がかかってきて、「今日か明日中に病院へ来てください。医師が直接診察したいとのことです。」と予約を入れてくださいました。
カイザーのウエブサイトに私(患者全員)のページがあります。ユーザー名とパスワードを入れて、私のページに行きます。私のページには 私に処方された薬が全て記載されていて、サイトから薬をオーダーできます。急ぐときには病院まで取りに行きますが、急がない薬、例えばいつも飲んでいる胃薬とか、お腹の薬はオーダーすると郵便で送ってくれます。
カイザーのいいところはトランスペアレンシー をとても大事にしてるところだと私は思ってます。トランスペアレンシー、 日本語だと 透明性ということでしょうか。

ある日、 朝起きたら左目がかすんで見えなくなってました。 顔を洗ってみたり色々してみたんですが 良くなりません。 これは大変だと思って、予約を入れて病院に行きました。担当医は中国系 アメリカ人の若い医師です。
「目の真ん中に外側が薄い緑で中が濃い紫の四角い像が見えて、目がかすんで見えないんです」と言ったら、OCT(光干渉断層計)で イメージ写真を撮って、散瞳検査(目に薬を入れて、瞳孔を開いて眼底を詳しく見る検査)をした結果、「どこも悪くないです」と言うのです。
「どこも悪くないって言っても、見えないんですけど。こんな状態で生活できません」とパニック状態で言いました。
片目が見えない状態で 一生過ごせない、担当医を替えなくちゃいけないかもと内心思いながらも、 頑張って「 先生の ズボンが右目だったらブルーに見ますが 、左目 だったらグレイに見えます」 って言ったんです
そしたら 「じゃあ、もう1度見てみます」と検眼鏡の前に座りました。
「あっ」と言って「 ちょっと待ってて、隣の先生にも見てもらうから」と、何か見つけたようで隣の 先生を呼んできました 。
「あー、これは後発白内障で、時々あるケースです。 僕の患者さんも同じ症状で、レーザーで直しました。患者さんはほっとしてましたよ」」 とハンサムな先生。
「 この先生だったら良かったのに」と思ってたら、「 じゃあ、これからYAGレーザーをしましょう」と私の先生。レーザーの器具がある部屋へ行きました。パチンパチンパチンと音がしてましたが、痛くはありません。
家に帰って2日ほど、よく見えませんでしたが、3日ぐらい経ったら見えるようになって、ほっとしました。その後 、2週間ぐらい経ったら、 今度は目の奥に鈍痛があって、真ん中に濃い紫の点が見えるので、また同じ先生の診察を受けに行きました。
「目の奥が痛くて、真ん中に濃い紫の点が見えるのですが」
「 レーザーをしたぐらいで、そんなに痛いはずがない。黒い点は飛蚊症でしょう」と先生。
「飛蚊症なら点が動くはずです。でもこの黒い点は一か所に止まって動きません」と私。

「 医師たちは 専攻が 文学部じゃないから、薄緑の真ん中に濃い紫色があってというような説明をしてもわかってくれないよ。明確にこれだって言った方がいい」と娘に言われたのを思い出して、「もしかしたら黄斑円孔?黄斑に穴があいてるかもしれない」ときっちり 言ったら見事に反応しました。

某サイトによると「黄斑円孔の初期段階では、視界が歪んで見えたり(変視症)、中心部が暗く見えなくなったり(中心暗点)します。 これは、黄斑の穴が空いた部分に光が投影されなくなるためです」とあります。

「じゃあ、OCTを撮ってチェックしましょう」ぎょっとした顔で言いました。 OCTの結果、黄斑が 腫れてるということがわかりました。
「YAGレーザーに反応したんですね」といって、点眼薬を処方してくれました。 点眼したら良くなりました。

カイザーの私のページに担当眼科医の診察レポートが載っているのに気が付きました。 その先生の診断後のレポートに私が「非常に ヒステリックだった」書いてありました。片目が霞んで見えなくなってるのに、どこも悪くないといわれて、ぎょっとした私の反応をヒステリックと見てたんですね。
もう一つは、今年の冬にひどい風邪をひいて肺炎になってしまい、医師の診断を受た時のレポートに「栄養状態は良い。精神状態は安定している。質問に対する受け答えもノーマル」とありました。若いけれど、とってもいい先生で親切に的確に見てくださいました。
「栄養状態が良いって、私が太ってるってこと?」と娘に言ったら、仕事柄こういったレポートを何度も見ている娘によると「要するに良い食べ物を食べて健康な状態であるということ。 精神状態も必ず見てて、安定してるか、イライラしてるか、不安になってるか 、そういうことを見る」のだそうです。
正直に(洗練された文体からは程遠い)先生が書いたレポートを患者が見ることができるなんて、カイザーの「透明性」というポリシーがすごいなと思いました。
先日、目のチェックに行きました。帰ってきてからレポートを見たら アシスタントの方(看護師?)が「今日は 目の調子が悪くて、よく見えません」って言った(本当にそう言いました。)と書いてありました。
先生との会話はヒステリックと思われないように冷静に お話したつもりだったので、先生のレポートにはどのように書かれてるのかなとチェックしてみました。 なんと、 先生が直接的表現で書いてあった コメントは全て消えてました。
こういう症状で、こういう目の検査をして、こういう処置をして、こういう薬を出しましたと、医学的な事項だけが書かれていました。
透明性を誇る カイザー でも、そこまではもう見せない(患者は見ることができない)ことになったんですね。
目の件で学んだのは、医師に症状を説明するときは直接的な言葉を使うこと、自分の体は自分で守るという方針を貫かなきゃいけないということでした。
次にこのような大変な目の病気が起こった時に、先生が大丈夫 とか言い出したら 、他の医師にセカンドオピニオンを聞きに行こうと 決めています。
自分の症状を正確に知ることができるのが嬉しいです。お医者さんの言う通りに従う のではなくて、私もいろいろ調べて、先生とお話をしてそれで結論を出すというやり方で行こうと思います。
カイザーが透明性のある病院なのが気に入ってます。

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683 ヒット

QR コードでラーメンをオーダー

年末に我流おせち料理を作るためにサンフランシスコのジャパンタウンにあるNIJIYAというスーパーに行ってきました。アメリカに渡ってから30年以上になりますが、毎年、煮しめとか黒豆とか、その他色々なものを作ってきました。両親から受け継いだ日本のお正月の風習なしのお正月は考えられないからです。過去3年はコロナのためにお客様を呼ぶのを中止しましたが、その前は30人ほどの人が元旦にいそいそと我が家にやってきました。私が生まれて初めておせち料理らしいものを作ってみた時から、毎年欠かさずに元旦のパーティに来てくれる人が3人ほどいらっしゃいます。

食料買い出しの前にちょっとランチをしようということになって、「ラーメンがいいね」というのでラーメン屋さんを探しました。驚いたのは、2ブロック内に、ラーメン屋さんが4軒ほどあるのです。お蕎麦はあんまり人気がありませんが、ここ10年ほどラーメンの人気が爆発的なのです。

ramen4 RSZ

なぜお蕎麦じゃなくてラーメンなのかなと考えてみました。お蕎麦というのはある程度の特殊な味覚を必要とするらしいけれど、ラーメンは油っぽくてこってりしているし、お肉も入ってるので馴染みやすいのだろうなという私なりの結論です。

この日はお天気が良くて外でも食べられるくらいの気温だったので、外にテーブルがあるラーメン屋さんを探しました。外にテーブルがあって、席も空いているラーメン屋さんが見つかったので、店内に入って受付を済ませると、アジア系アメリカ人の青年が外のテーブルに案内してくれました。テーブルにメニューがないのでレイが「メニューをお願いします」と言ったら「 OK」 と言って店内の戻っていきました。ふとテーブルの真ん中に QR コードがついた紙が置いてあるのに気が付きました。

QR コードって、1994 年に日本のデンソー ウェーブによって発明されたマトリックス バーコードの一種なんですね。

datamatrix

紙を読んだら、このコードを使って食べ物をオーダーするようにということです。なかなかメニューを持ってきてくれないので、このQRコードでオーダーするしかないなと思ってたら、レイも同じことを考えてたようで、スマートフォーンを手にしてます。でも老眼鏡を忘れてきたので、携帯に出てきた字が読めなくて、メニューを待つより仕方がないといって、携帯をテーブルに置きました。するとテーブルへ案内してくれた青年が(どうやら彼一人で接客の応対をしているようです)メニューを持ってきてくれました。写真入りの大きな字で書かれたメニューなので、どれをオーダーしたいか、すぐに決まりました。でも、なかなかオーダーを取りに来てくれません。

超近眼で小さな文字を読むのは問題がない私が、QR コードでオーダーをしてみることにしました。スマートフォンのカメラを(だったと思う)QR コードにあてると、コードを読み込んでラーメン屋さんのサイトにつながりました。オンラインショップと同じように名前を入れてメールアドレスを入れて、それからオーダーを入れていきます。写真入りの大きな字のメニューを見て、すでに決めていたラーメンをオーダーしました。次はクレジットカードの番号や期限を入れて支払いをします。チップは何%にするかを決めます。10%、18%、20%から選ぶのが一般的なのですが、最近は10%がなくて、15%、20%、25%から選ぶようにという飲食店が増えています。インフレでサービス業界で働く人たちも大変なのでしょう。オーダーを入れたらすぐに E メールで「毎度ありがとうございます。オーダーを受け取りました」というメッセージが入りました。

この辺りの店はいつもお昼時間は混んでいて、長い列ができてるのですが、この日は誰も列を作っていません。ふと気がついたのですがレストランの入り口にタブレットが置いてあるのです。入り口に設置してあるウエイティングリストの紙に名前を書いて、名前が呼ばれたら中へ入るというのが、タブレットに変わったんですね。タブレットに名前と電話番号を入れてテキストで席が空きましたよという連絡が入るのを待つというシステムなんです。長い列を作って立って待つ必要がなくて、あちこちのベンチなどに座って待っているのです。これはとても便利だなと思いました。

札幌の大丸の飲食店街はレストランの入口の壁に沿って10個ほどの椅子が並んでいて、前の人が店内に入ったらあいた椅子へ移るというシステムでした。

オーダーを入れてから15分でラーメンが運ばれてきました。お味の方もなかなかで、久しぶりにラーメンを楽しみました。アメリカは日本と違ってテーブルで支払いを済ませるシステムなので、係の人が来るまで待たなければなりません。でもQRコードでオーダーをしたら、食べ終わったら、お会計を待つ必要もなく、さっと外へ出られて気持ちよかったです。

それにしてもレストランサービス業の人手不足が深刻なのでしょう。その結果、こういう方法が生み出されたのだと思います。

スマートフォーンがないとカジュアルレストランでラーメンを食べるのも難しい時代になったのかなあと思いました。帰って友達にその話をしたら「私は達者に携帯を使えないからラーメン屋さんに行けないわね」と言っていました。そうではないけれど、メニューをもらって、オーダーを入れてというのに時間がかかるので、気長に待たなければならないということなのでしょう。

「年を取って車が運転できなくなると大変だわね」QRコードでラーメンをオーダーしてから、ふと思ったのです。アメリカ社会は車社会です。私たちが住んでるところは、車がないというのは靴がないのと同じで、どこへも行けません。多少不便でもバスが使えるといった状態ではないのです。タクシー会社も、今はないと同様です。

「大丈夫さ。その頃になると運転手無しで走る車が登場してるよ」と自信たっぷりのレイ。

「行き先をコンピューターで入力しなければならないと思うけど、タイプミスで違う住所を入力してしまって、とんでもないところへ連れて行かれることもあるんじゃない?」

間違った住所をインプットしてしまって、車の中で慌てふためいてる二人の姿が目に浮かんで笑ってしまいました。

HONDAのCRVを買って初めて運転したときに、キー無しなので(それまではキーを差し込んで運転するアンティーク車(笑)に乗っていました)どのボタンを押したらエンジンがスタートするのか、二人で慌てふためいてました。

「エンジンをスタートしてください」とレイがボイスオーダー(のつもり)をしてもエンジンがかからず、大笑いしたものです。
でも慌てふためく老夫婦の図に笑ってる場合じゃないのかもしれません。

時代の変化に合わせて、ますますハイテクになる世の中に対応できるように心がけたいものです。

2023年が皆様にとって素晴らしい年でありますように。

ラーメンの写真はGAIJINRAMENから、QRコードのシンボルはコグネックスのを掲載させていただきました。

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492 ヒット

私のヒーロー、パットさん

My hero Museum

先日、90歳のパットさんをお誘いしてソノマの街にある小さな美術館に行きました。なかなか素晴らしい絵画と写真集のコレクションを展示していると聞いたからです。
パットさんは隣町のサンタローザから45分ほどかかるソノマへ、一人で車を運転してやってきました。

My hero Pat at museum

館内に入ると鑑賞者は女性一人。静かでスッキリしていて気持ちよさそうです。受付を終わって、さあ、鑑賞を始めようと思ってふと後ろを見たら、パッとさんが車椅子を借りています。
「申し訳ありません。車椅子しかなくて」と係りの男性が言ってます。
「いいのよ、歩くのは大丈夫なんだけど、じっと立っているとふらつくことがあるので、念のために押して歩きたいと思ってお願いしました」にこやかに答えています。

パットさんは、自分のペースで作品の鑑賞を始めました。それで私も自分のペースで好きな作品の前で少し長めに立ち止まったりしながら鑑賞。
すべて見終わった地点でパットさんが待っていて「もういいの?もう一度見たい作品とかある?」と心使いをしてくれます。
「素晴らしい作品ばかりで驚いたわ。次の展示が発表されたら、ぜひ教えてね。また来たいから」
作品を鑑賞する目が確かです。
出口で車椅子のお世話をしてくれた担当の男性ににっこり笑いかけてお金(寄付)を渡していました。

美術館を出て、プラザにあるEl Dorado Kitchen とういうレストランのテラスでスイーツと私はカプチーノ、パットさんは紅茶を楽しみながらおしゃべり。
彼女とお話ししていていつも感じるのは、話がずれないことです。自分の思い出話だけとか孫自慢だけはなくて、政治、経済、映画、そして彼女の離婚の話を笑いながら話すので、二人でゲラゲラ笑ったりと本当に楽しいのです。
彼女が日米交流の世話をする仕事をしていた時の話、経済関係の非営利団体の世話役を務めている話と話題がつきません。歳はまるで関係なくて、あっという間に時間が過ぎました。晴れ晴れとした気持ちでレストランを後にしました。

My hero Pat tea

会話中に、私に質問を投げかけることも忘れません。会話に誘い込みます。
「エミは本を読んでる? 私は今、チャーチルがどんな人だったかを書いた本を読んでるんだけど、時間を忘れしまうくらい面白いの」
「偶然ね。私は、今、トルーマン大統領の本を、ドライアイなので、読むのではなくて、オーディオで聞いているんだけれど、原爆を落とす決断を出すまでの経緯とか、とても興味深くてアメリカの歴史を知る参考になってる。歴史って面白いよね」
「私も歴史を学ぶのが大好き」彼女はソノマの大学で歴史のショートコースを取ったこともあります。

パットさんはケンタッキー州で生まれて、幾つかの南部の州で子供時代を過ごして、ケンタッキー大学を卒業しました。
若くして結婚。そして離婚。離婚前に住んでいた10部屋ある家をもらってお部屋を貸してそれを収入として、さらに働きながら、お嬢さん3人に息子さん一人を育てました。どの子供さんも独立して東海岸で暮らしています。息子さんは弁護士として日本に住んでいます。
その頃に部屋を貸していた学生さんの一人が前在日米国大使(エマニュエル氏の前)として東京に在日していた時に、彼のお母さんと一緒に東京に招かれて、楽しい日々を過ごしたと話してました。毎年クリスマス、誕生日のカードを交換し続けてきたそうです。

離婚後、とても素敵な男性、ボブと出会って、再婚しました。ボブは明るくて前向きの男性で子供達の全員がボブを慕っていたそうです。悲しいことにボブは15年ほど前に亡くなりました。ボブが亡くなってから大きな家に一人で住んでいますが、もし一人でいて転んで起きられなかったりしたときに、誰かがいると見つけてくれるからというので、若い女性に離れを格安で貸しています。

パットさんは大の親日派です。その経歴を聞くと納得です。前のご主人が大使館で働いて東京に派遣されたときに、パットさんは国際社会奉仕の一員としてアメリカ兵と日本人女性の間に生まれた子供の養子縁組の手伝いをしたのが、日本との交流に寄与する仕事を始めたきっかけです。その後アメルリカへ戻って、ワシントン・東京ウイメンズクラブ会長、ジャパンソサエティー・オブ・ボストン専務理事、アジア貿易推進部長、マサチューセッツ国際貿易事務所勤務と長年日本との交流に貢献する仕事をしてきました。ボストン時代にまだ独身だった雅子皇后陛下にお会いしたこともあるそうです。北海学園で英語を教えたこともあります。彼女は丁寧な日本語を話します(中級くらいかな?)
現在は、ソノマ・カウンティ世界問題評議会で長く務めていた会長をやめたのですが、それでも色々と指示を出してるのをよく見ます。

こうして彼女の役職歴を綴ってみて、パットさんてすごいポジッションでずうっと働いてきたことを改めて確認して驚いています。20年以上も知り合いなのに、錚々たるポジッションで働いていたことをひけらかすことがなくて、優しくてフレンドリーで謙虚なのです。

ひょんな縁でパットさんと知り合って、当時、レイが経営していた会社で働きはじめました。
「ソノマ・カウンティでいろんなボランティアをしたけれど、興味のある会話はなくて、刺激もないし、つまらないの。保険とかはいらないからレイが雇ってくれないかしら。条件は東海岸に住んでいる子供達に会いに行ったり、自由に旅行に出かけられること」
レイがオーケーしてから、なんと20年余り80歳半ばまで,レイの会社で働きました。レイの会社で働いていた同僚の女性とは、今でも月に一度ランチをしてるとのことです。

その間、いろんな国に旅行しています。ベンチャービジネスで大成功している長女との旅行が多く、アフリカまで行っています。一人でドイツの友達を訪ねたこともありました。
今年の春にお嬢さんとニューメキシコまで出かけて、「勇気を出してスノーケルを付けていろんなお魚を見たのよ、きれいだった」と誇らしげににっこり。

健康でぼけずに生き生きと暮らしている秘訣は?
*毎日、1日のスケジュールをメモ用紙に書いています。
*毎日散歩に行ってます。外へ出ない日は家でトレッドミル(ルームランナー)でエクササイズをします。
「体を動かさないとダメよ。動かさないと体のあちこちが痛くなってくるから」私の経験からも、本当にそうだと思います。コロナ前はヘルスクラブに通ってました。
*「1日誰にも会わないで家にじっとしてるのは耐えられない」
毎日、出かけるか、自宅で知人友人に会っています。例えば、毎週金曜日に12時から1時半まで4人の女友達(50代と60代)が各自ランチ持参でやってきます。1時半きっかりにお別れをして各自のスケジュールに戻ります。一度ご一緒させていただきましたが、話題が豊富で楽しかったです。いつもお誘いを受けているのですが、12時に彼女の家に着くにはランチを作って11時過ぎに家を出なければならないので、夜型の私にはちょっときついのです(汗)。
「私はテーブルをセッティングしてお水を出すだけよ」とパットさん。
「恵美、うちでランチをしましょう。私が何か作るから」と昨年、パン類が食べられない私のためにおいしいスープを作ってくれました。
自宅にソノマ・カウンティ世界問題評議会のメンバー30人をランチに招いたことがあります。もちろん彼女が料理をしました。小柄な彼女のエネルギーは、どこから出てくるのでしょう!
「ちょっときつかったから、もうランチに招くことはしないわ」80歳後半でした。
コロナ前はシンフォニーのシーズンチケットを持っていて、友人とコンサートに出かけていました。
*ズーム、Eメール、テキストを使いこなしています。コロナ感染防止外出禁止令が出たときから、週に一度、東海岸のお嬢さん達とズームでお話しています。隔週に一度、日本の友人ともズームで連絡を取り合っているし、ソノマ・カウンティ世界問題評議会の役員の方達とも頻繁にズームでミーティングをしています。
*助けが必要な人には見返りを期待しないでとても親切です。それも本当に自然なのです。

「私はエミのことを友達だと思ってるのよ」という積極さもにも敬服。
「書くという才能を持っているんだから、無駄にしないこと」と励ましてくれます。
「冬の曇った日や雨が降っている日は憂鬱になるのよ」というパットさんに
「私も同じ。そういう日は、家中の電気をつけて、家の中をぱっと明るくするの」と私。
雨の降る暗い冬の日にパットさんのお家に行ってみたら、センスのいいあちこちにあるスタンドに電気がついてました。良いと思うことはすぐに実行するのもさすがです。

何十年も知り合いにカードを送ったり連絡を取り合ったりなど、無精な私には無理ですが、常に世の中に興味を持って、なるべくいろんな人と会って、本を読んで、散歩をしてという姿勢は私も真似をしたいと思っています。

センスの良い家具と絵画、整然と整理された心地よい室内。キッチンとダイニングルームに、いつもお花が飾られています。プール付きの庭も綺麗です。いつも季節の花が咲いてます。家のお掃除や剪定は頼んでいるようですが、お花を植えたりは一人でしてると言ってます。

今週、東海岸に住むお嬢さん達に会いに10日間出かけます。もちろんひとりで。

90歳になっても独立して一人できちんと暮らしてるパッとさんは私のヒーローです。いつまでも、にこやかで生き生きとしたパッとさんでいて欲しいと祈っています。

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955 ヒット