グアテマラ帰って3日後、母の三回忌と98歳の父に会うために北海道江別の実家へ帰りました。
零下何度という雪で真っ白な実家から、数日前にソノマに戻りました。裏庭の真っ白いスモモの花とピンクのかわいらしい桃の花が迎えてくれました。毎日21度前後というお天気のよさです。
でも私は悲しい気持ちで暮らしています。何も知らされずに実家へ帰ったら、弟が話があるというのです。
3月3日に今の特別老人ホームから出なければならない。でも行くところがないというのです。
父は「98歳になっていくところがないなんて、情けない。長く生きてもいいことはない」と涙を拭くのを見て、そのとおりで慰めの言葉も出ませんでした。
どうして、こんなことになってしまったのか。
父はややこしいシステムの狭間で落ちこぼれてしまいました。有料老人ホームはどこもあまり空きがありません。探すのが大変なのにもかかわらず、弟夫婦、ケアマネージャー、ホームのマネージャーの三者が、お互いに誰かが手はずを整えているはずだと思い込んでいました。
父が落ち着いた先はいわゆる療養型病床をもつ病院です。社会的入院というそうですが、医療、看護はほとんど必要がないのに、入院するということです。福祉施設の肩代わりを病院がしているのは日本だけだとか。
父は病気でもないのに、なぜ病院なのか、行きたくないと主張したそうです。当然です。98歳という年齢から来る多少の勘違いはありますが、意識はかなりはっきりしています。そんな父が不憫でなりません。
自宅介護も考えましたが、弟との関係、父の衰弱度等から、断念しました。
遠くに住んでいるために、どうにもしてあげられない歯がゆさで、数日間、夢にうなされました。
こういう悩みは、私だけではなく、多くの方たちが面しているのだろうと思います。