2003年に書いた記事ですが、まだ十分に新しい内容かと思いますので、再度掲載させていただきます。
バイオダイナミック栽培
私の住んでいる町にあるワイナリー、ベンジガーがバイオダイナミック農法で葡萄を栽培している。バイオダイナミックと聞いて、「満月に裸で踊るの?」なんて、冗談半分にマイクに聞きたくなってしまった。科学的証明はなくて、特殊集団が宗教的な雰囲気で葡萄栽培をしているイメージが浮かんでしまったのだ。
でもマイクの説明を聞いてみると、自然と調和してバランスのとれた健康な葡萄を育てるというとっても自然な理念だった。人間は自然の一部なのだから、自然と調和して生きるのが理想的だという考えを、田舎で育った私は当り前と思っていたので、マイクの話に納得した。
それでバイオダイナミックについて調べてみました。
バイオダイナミックの歴史、誰が始めたの?
オーストラリアの哲学者であり科学者だったルドルフ・スタイナー(1863年―1925年)の考えに基づいて始まったもの。科学肥料が開発され、ヨーロッパの農家がそれを使用した結果、土の質が衰えたし、農作物や家畜の健康状態が思わしくないと苦情を言い始めたときに、スタイナーは土地を修復すると考える代わりに環境全体を考えることを説いた。
スタイナーの理念の重要な3点:
(1)農園全体をひとつの生き物に例える。生物は自動調整の可能性を持っている。成長し補充し再生産し、そして清浄する。健康な農業も害虫を抑制できるのに十分な益虫が生息し農園を維持出来るだけ多様でなければならない。また葡萄畑は花や果樹や益虫や鳥を呼び寄せる植物、花や果樹を植えなければならない。そして自然環境のバランスをとるのだ。葡萄も自動調整できるように、さまざまな植物や虫と共生しなければならない。
(2)廃棄物はリサイクルされ堆肥となり栄養分に帰られなければならない。使用した水はリサイクルされて再び使われなければならない。
(3)牛の糞、シリカ(珪石)を調合したものの使用。
ヨーロッパのバイオダイナミックの伝道者
バイオダイナミックは葡萄栽培に特定されて発達したものではないのだが、葡萄栽培に適している。農場が生き物に例えられたように、その環境の中で生まれた個性を尊重するという考え方は葡萄畑の個性を反映したワインを造るための栽培という観点にマッチするからだ。
ヨーロッパの現代のバイオダイナミック葡萄栽培の伝道者と言われるニコラス・ジョリはWine from Sky to Earth という著書の中で、「バイオダイナミックによる栽培は、アペラシオンの原点である個々の栽培地区の特色を表現することだ」としている。同氏は化学肥料、薬品使用のために各畑の特色が失われてしまったと嘆いている。「1930年代に作られたAOC(原産地管理呼称)は栽培地のさまざまな畑の特色を数世代を通した体験から熟知していることに基づいて作られたもの。そのワインたちはその環境と非常に密接に結びついており、他の土地で真似ることはできない。AOCの目的はそのワインの個性を認識し守ること意外にない。その当時、農栽培は健康な状態にあったが、60年後、状況が劇的に変わった。奇跡の薬剤、除草剤、殺虫剤が登場し、最初はほんの少量を使うことからだんだん化学薬品に頼る農法へと変わってしまった。そして害虫を食べる益虫も、土の肥料となる雑草も畑から姿を消してしまった。そうなるとさらに化学薬品に頼らなければならない。そして土は死んでしまった。AOCは単なるラベル表示の数字に変わってしまった。土が健康に保たれていようがいまいが、ワインの味がその土地から生まれたものか、企業が培養した無数の酵母から生まれたものであるかどうかにかかわらず、AOCを名のる権利は依然として同じだ」と嘆いている。
彼の説明は理論的であると同時にとっても詩的だなと思わせる箇所がいくつもある。例えば葡萄樹を新しい角度から見るという項では、「葡萄樹は強い力で土の中に突入している。ほとんど何者もその根に抵抗できない。壁のような岩でもごく小さな割れ目を通って下へ下へと降りていく。これは葡萄樹がいかに重力と密接に結びついているかを示している。反対に葡萄樹は太陽が与えてくれる気まぐれな力を十分に生かして上に伸びていけない。そのドラマを私たちは目撃している。葡萄樹は土の囚人だ。支えるものがなければ葡萄樹は上に伸びていくのを夢見ることしか出来ない」といったふうに。
ニコラス・ジョリはロワール・ヴァレーにあるCoulee de Serrant を所有者し、シェナン・ブランから非常に個性的なワインを生産している。12世紀にシトー修道会士によって開墾された畑で800年以上にわたって葡萄が栽培されてきた。Coulee de Serrantは個性的なワインとして評価されていると聞いてますが、私は飲んだことがありません。
*この記事を書いたときには飲んだことが無かったのですが、その数年後にストックホルムのレストランで飲みました。ものすごく高い変わったレストランで、出てくる料理はほとんど生の野菜、それがお皿にそれは美しく盛られていました。そのときのこのレストランの白ワインはニコラス・ジョリのシェナン・ブランでした。ソムリエは「4時間前にボトルを開けておいてから出すようにという指示が来ています」というので、出てきたワインはほとんど酸化状態。相棒は申しわけないけど、これは1グラス以上飲めないといってブルゴーニューの赤を飲み始めた。こちらは美味しかった。このレストランについて覚えているのは、酸化した白と自家製のチーズ(これはとっても美味しかった)、それから小指より小さなニンジンとプチ・トマトが1個ずつがお皿に盛られていたこと、そしてものすごく高かったこと。がキルに残って言うR。このレストランは数年後に閉店と聞いて納得。