先日、90歳のパットさんをお誘いしてソノマの街にある小さな美術館に行きました。なかなか素晴らしい絵画と写真集のコレクションを展示していると聞いたからです。
パットさんは隣町のサンタローザから45分ほどかかるソノマへ、一人で車を運転してやってきました。
館内に入ると鑑賞者は女性一人。静かでスッキリしていて気持ちよさそうです。受付を終わって、さあ、鑑賞を始めようと思ってふと後ろを見たら、パッとさんが車椅子を借りています。
「申し訳ありません。車椅子しかなくて」と係りの男性が言ってます。
「いいのよ、歩くのは大丈夫なんだけど、じっと立っているとふらつくことがあるので、念のために押して歩きたいと思ってお願いしました」にこやかに答えています。
パットさんは、自分のペースで作品の鑑賞を始めました。それで私も自分のペースで好きな作品の前で少し長めに立ち止まったりしながら鑑賞。
すべて見終わった地点でパットさんが待っていて「もういいの?もう一度見たい作品とかある?」と心使いをしてくれます。
「素晴らしい作品ばかりで驚いたわ。次の展示が発表されたら、ぜひ教えてね。また来たいから」
作品を鑑賞する目が確かです。
出口で車椅子のお世話をしてくれた担当の男性ににっこり笑いかけてお金(寄付)を渡していました。
美術館を出て、プラザにあるEl Dorado Kitchen とういうレストランのテラスでスイーツと私はカプチーノ、パットさんは紅茶を楽しみながらおしゃべり。
彼女とお話ししていていつも感じるのは、話がずれないことです。自分の思い出話だけとか孫自慢だけはなくて、政治、経済、映画、そして彼女の離婚の話を笑いながら話すので、二人でゲラゲラ笑ったりと本当に楽しいのです。
彼女が日米交流の世話をする仕事をしていた時の話、経済関係の非営利団体の世話役を務めている話と話題がつきません。歳はまるで関係なくて、あっという間に時間が過ぎました。晴れ晴れとした気持ちでレストランを後にしました。
会話中に、私に質問を投げかけることも忘れません。会話に誘い込みます。
「エミは本を読んでる? 私は今、チャーチルがどんな人だったかを書いた本を読んでるんだけど、時間を忘れしまうくらい面白いの」
「偶然ね。私は、今、トルーマン大統領の本を、ドライアイなので、読むのではなくて、オーディオで聞いているんだけれど、原爆を落とす決断を出すまでの経緯とか、とても興味深くてアメリカの歴史を知る参考になってる。歴史って面白いよね」
「私も歴史を学ぶのが大好き」彼女はソノマの大学で歴史のショートコースを取ったこともあります。
パットさんはケンタッキー州で生まれて、幾つかの南部の州で子供時代を過ごして、ケンタッキー大学を卒業しました。
若くして結婚。そして離婚。離婚前に住んでいた10部屋ある家をもらってお部屋を貸してそれを収入として、さらに働きながら、お嬢さん3人に息子さん一人を育てました。どの子供さんも独立して東海岸で暮らしています。息子さんは弁護士として日本に住んでいます。
その頃に部屋を貸していた学生さんの一人が前在日米国大使(エマニュエル氏の前)として東京に在日していた時に、彼のお母さんと一緒に東京に招かれて、楽しい日々を過ごしたと話してました。毎年クリスマス、誕生日のカードを交換し続けてきたそうです。
離婚後、とても素敵な男性、ボブと出会って、再婚しました。ボブは明るくて前向きの男性で子供達の全員がボブを慕っていたそうです。悲しいことにボブは15年ほど前に亡くなりました。ボブが亡くなってから大きな家に一人で住んでいますが、もし一人でいて転んで起きられなかったりしたときに、誰かがいると見つけてくれるからというので、若い女性に離れを格安で貸しています。
パットさんは大の親日派です。その経歴を聞くと納得です。前のご主人が大使館で働いて東京に派遣されたときに、パットさんは国際社会奉仕の一員としてアメリカ兵と日本人女性の間に生まれた子供の養子縁組の手伝いをしたのが、日本との交流に寄与する仕事を始めたきっかけです。その後アメルリカへ戻って、ワシントン・東京ウイメンズクラブ会長、ジャパンソサエティー・オブ・ボストン専務理事、アジア貿易推進部長、マサチューセッツ国際貿易事務所勤務と長年日本との交流に貢献する仕事をしてきました。ボストン時代にまだ独身だった雅子皇后陛下にお会いしたこともあるそうです。北海学園で英語を教えたこともあります。彼女は丁寧な日本語を話します(中級くらいかな?)
現在は、ソノマ・カウンティ世界問題評議会で長く務めていた会長をやめたのですが、それでも色々と指示を出してるのをよく見ます。
こうして彼女の役職歴を綴ってみて、パットさんてすごいポジッションでずうっと働いてきたことを改めて確認して驚いています。20年以上も知り合いなのに、錚々たるポジッションで働いていたことをひけらかすことがなくて、優しくてフレンドリーで謙虚なのです。
ひょんな縁でパットさんと知り合って、当時、レイが経営していた会社で働きはじめました。
「ソノマ・カウンティでいろんなボランティアをしたけれど、興味のある会話はなくて、刺激もないし、つまらないの。保険とかはいらないからレイが雇ってくれないかしら。条件は東海岸に住んでいる子供達に会いに行ったり、自由に旅行に出かけられること」
レイがオーケーしてから、なんと20年余り80歳半ばまで,レイの会社で働きました。レイの会社で働いていた同僚の女性とは、今でも月に一度ランチをしてるとのことです。
その間、いろんな国に旅行しています。ベンチャービジネスで大成功している長女との旅行が多く、アフリカまで行っています。一人でドイツの友達を訪ねたこともありました。
今年の春にお嬢さんとニューメキシコまで出かけて、「勇気を出してスノーケルを付けていろんなお魚を見たのよ、きれいだった」と誇らしげににっこり。
健康でぼけずに生き生きと暮らしている秘訣は?
*毎日、1日のスケジュールをメモ用紙に書いています。
*毎日散歩に行ってます。外へ出ない日は家でトレッドミル(ルームランナー)でエクササイズをします。
「体を動かさないとダメよ。動かさないと体のあちこちが痛くなってくるから」私の経験からも、本当にそうだと思います。コロナ前はヘルスクラブに通ってました。
*「1日誰にも会わないで家にじっとしてるのは耐えられない」
毎日、出かけるか、自宅で知人友人に会っています。例えば、毎週金曜日に12時から1時半まで4人の女友達(50代と60代)が各自ランチ持参でやってきます。1時半きっかりにお別れをして各自のスケジュールに戻ります。一度ご一緒させていただきましたが、話題が豊富で楽しかったです。いつもお誘いを受けているのですが、12時に彼女の家に着くにはランチを作って11時過ぎに家を出なければならないので、夜型の私にはちょっときついのです(汗)。
「私はテーブルをセッティングしてお水を出すだけよ」とパットさん。
「恵美、うちでランチをしましょう。私が何か作るから」と昨年、パン類が食べられない私のためにおいしいスープを作ってくれました。
自宅にソノマ・カウンティ世界問題評議会のメンバー30人をランチに招いたことがあります。もちろん彼女が料理をしました。小柄な彼女のエネルギーは、どこから出てくるのでしょう!
「ちょっときつかったから、もうランチに招くことはしないわ」80歳後半でした。
コロナ前はシンフォニーのシーズンチケットを持っていて、友人とコンサートに出かけていました。
*ズーム、Eメール、テキストを使いこなしています。コロナ感染防止外出禁止令が出たときから、週に一度、東海岸のお嬢さん達とズームでお話しています。隔週に一度、日本の友人ともズームで連絡を取り合っているし、ソノマ・カウンティ世界問題評議会の役員の方達とも頻繁にズームでミーティングをしています。
*助けが必要な人には見返りを期待しないでとても親切です。それも本当に自然なのです。
「私はエミのことを友達だと思ってるのよ」という積極さもにも敬服。
「書くという才能を持っているんだから、無駄にしないこと」と励ましてくれます。
「冬の曇った日や雨が降っている日は憂鬱になるのよ」というパットさんに
「私も同じ。そういう日は、家中の電気をつけて、家の中をぱっと明るくするの」と私。
雨の降る暗い冬の日にパットさんのお家に行ってみたら、センスのいいあちこちにあるスタンドに電気がついてました。良いと思うことはすぐに実行するのもさすがです。
何十年も知り合いにカードを送ったり連絡を取り合ったりなど、無精な私には無理ですが、常に世の中に興味を持って、なるべくいろんな人と会って、本を読んで、散歩をしてという姿勢は私も真似をしたいと思っています。
センスの良い家具と絵画、整然と整理された心地よい室内。キッチンとダイニングルームに、いつもお花が飾られています。プール付きの庭も綺麗です。いつも季節の花が咲いてます。家のお掃除や剪定は頼んでいるようですが、お花を植えたりは一人でしてると言ってます。
今週、東海岸に住むお嬢さん達に会いに10日間出かけます。もちろんひとりで。
90歳になっても独立して一人できちんと暮らしてるパッとさんは私のヒーローです。いつまでも、にこやかで生き生きとしたパッとさんでいて欲しいと祈っています。