しなやかな心
サンフランシスコ周辺にはたくさんのすばらしいミュージシャンがいます。多くのミュージシャンたちは音楽だけでは生活できないので、ビジネスの世界でも成功して、そして音楽への情熱も捨てずにあちこちで演奏しています。
そんなミュージシャンの一人、ウエンディ・デウイットさんの生演奏を聞く機会がありました。彼女はブギウギの女王と、ベイエリアで呼ばれるほど、すばらしいリズム感とエネルギーでブギウギを歌いながら演奏します。
この夜はイタリアの料理をテーマにしたプライベートディナーに彼女とドラマーのコンビが演奏者として招かれていました。プライベートといってもゲストは70人はいたかと思います。デザートを食べ終わって、彼女とドランマーの演奏が始まりました。最初から飛ばしっぱなしのすばらしい演奏で大きな拍手とスタンディングオーベーション。ブギウギはダンスにぴったりのリズムなので、ホールの空いている数箇所で何組かが踊っていました。
私が座っていた隣のテーブルのカップルのことです。椅子が私のすぐ横でした。老紳士が、80代後半でしょうか、ゆっくりと立ち上がりました。転んだときに支えてあげなくちゃ思って態勢を整えて見守っていました。するとカップルの奥様が彼の手をとって踊り始めたのです。ご主人は左手で椅子につかまって体を支えて、右手で奥様の手を取って彼女を躍らせているのです。ほほえましいなあと、うっとりと見ていたら、ご主人のほうがすぐにぺたりと椅子に座ってしまいました。小柄な奥様のほうは一人で彼の前で踊っています。私はとっさに彼女のお相手をするために立ち上がって彼女の手を取りました。遠くに住む足と腰を痛めた父と小柄な母の顔が一瞬、思い浮かんだような気がします。
「エーッ!」と小さな声を上げて、私に微笑みかけて、手を差し伸べてきました。一曲を二人で踊り終えたら、ぱっと私を抱きよせて、ほっぺをくっつけて「サンキュー!」と言ってくれました。
私はとっても幸せでした。知らない人、それもアジアの女性が突然目の前に現れて手を取って踊ろうというのですから、疑い深いというか、心の硬い人だったら、「知らない人となんか踊らないわよ」ってこともありえます。喜んで手を差し伸べて来た彼女のオープンな心が、私をとっても幸せな気持ちにしてくれたのです。年を取ると、ともすると心が硬くなってしまいがちです。彼女ようにしなやかな心を持つ老婦人になりたいなあと思いました。
ディナーが終わって帰る支度をしていたら、後ろからそっと肩をたたく人がいました。一緒に踊ってくれた老婦人でした。
「一緒に踊ってくれてありがとう」と言うために、わざわざ私のところへ来てくれたのです。
「ダンスが上手ですね」といったら、「あなたも上手よ」ってにっこり。心のしなやかな老婦人とたった一曲だけれど、踊ることが出来て、私の心はほのぼの、そしてしなやかな心を彼女からもらった夜でした。