ソノマの暮らしブログ

父の長寿の秘訣

2017年になりましたね。
2016年はいろいろありましたが、12月13日に父を亡くしたことから悲しい忘れられない年になりました。



98歳でした。大往生といわれる歳です。でももう顔を見ることが出来ないと思うと悲しいです。
父は最期まで認知症にならずに、意識がはっきりしていました。
「98歳まで明確な意識を持ち続けられるのは、どういう特質と精神の強さを持った人なのかなと、いつも考えている」と友人からメールがきました。
父の性格で一番記憶に残っているのは、新しいことにチャレンジする性格と頑固さです。 何歳だからこれはしないといった限界がない人でした。


80代になってからコンピューターを買って、クラスに通ってました。「俺が一番年上だ」と笑ってました。もし父がカリフォルニアに住んでいたら、シニアのためのコンピューターのクラスがコミュニティカレッジにあるので、せっせと通ったことでしょう。一度Eメールが届きましたが、後はどうやらプロセスを忘れてしまったらしく、残念ながら届きませんでした。私が近くにいたら教えてあげられたのにと残念です。でもワープロを打ったりアドレス帳を作ったりはきちんと実行してました。
その後、スマートフォーンがほしいというので、買ってきたら、電話帳に親類知人の名前と番号をきちんと入れてありました。私の番号は1を押せば出るようになっていました。微笑ましいのは自分が使うときにしかスイッチを入れなかったことです。
指でスーッとジャスチャーをして、こうやって読む(アイパットのことかと思います)のがほしいと言ってたのですが、右目の調子が悪くなって読むことを諦めました。 車を買い替えたのは92歳、95歳まで運転してました。
90代になってからですが、テレビの料理番組で見たからと言って、大胆で本格的なチキン料理を作ってご馳走してくれました。
簡単ではあったと思うのですが、税金の申告も自分でしてました。
認知症にならずに長生きできたのは、父の精神力も含めてそういう遺伝子を持っていたからなのかなと思います。
私もその遺伝子をもらっていたらいいなと思うのですが、、、。
若いときに農作業で腰を痛めたのが原因で亡くなる前の数年間は歩行が困難で、好きな料理も思うように出来なくて、つらかっただろうと思います。
ベッドに横になっているだけになっても意識がはっきりしていて、周辺と自分に起こっていることが見えている状態というのは、もしかして認知症になった人よりもつらいかもしれないなと、素人の考えで思ったりしてます。
頻繁に父をお見舞いに行ってくださった親友が話してくれました。 ある日、お見舞いに行ったら、父が「ヒラリー負けましたね」と言ったので驚いたということです。私がアメリカに住んでいるので、アメリカの政治情勢をいつもチェックしていたようです。その親友が「お父さんは最後まで毅然としてましたよ」と報告してくださいました。
「恵美子さんにきてもらいますか?」と聞いたら、きっぱりと首を横に振ったとのことです。遠くから大変だろうからと最後まで私のことを思いやってくれた父でした。
突然、入院する1日前に父から電話が来ました。運の悪いことに私は運転中だったのですが、違反と知りながら電話を取りました。
「誕生日(2月16日)には来れるか」「誕生日まで持たないかもしれない」のどっちか聞き取れません。それからいろいろ話してくれたのですが、よく聞こえません。最後に「さよなら」と言ったのだけは聞こえました。
その2週間後に亡くなりました。

9月に会ったときに
「もうだめかもしれないと思ったら電話頂戴」
「今死ぬからって電話するのか?」
「そう」
「それは無理だな」

父との最後のジョークでしたが、さよならの電話をくれた父でした。

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