ソノマの暮らしブログ

カフマン 恵美子 はまだ経歴を設定していません

ユニペロ・セラ神父列聖に不賛同

フランシス ローマ教皇の初訪米は様々な行事をこなし、多くのアメリカ人を魅了して無事バチカンに帰りました。

行事の一つとしてワシントンDCの大聖堂で歴史的なミサが行われ、このミサの中でユニペロ・セラー神父が聖人として認められました。

ユニペロ・セラ神父はカリフォルニア(ソノマも含めて)ワイン産業に取って、歴史上、重要な人物です。カリフォルニアのワイン産業の誕生はフランシスコ会修道士であった、ユニペロ・セラ神父がサンディエゴに新しく建てた伝道所にブドウを植えた1769年とされています。

植えたブドウはクリオーラ種で、伝道師(ミッショナリー)がサクラメントに使ったことからミッションという名がついたと言われています。このミッション種は北アメリカ初のヴィティス・ヴィニフェラです。

ミッション種は温暖で乾燥したカリフォルニアの気候にマッチして、特に南カリフォルニアで大いに栽培され、ワインビジネスも繁盛したのですが、ワインの質は今ひとつで、やがてもっと質の良いワインが生まれる他の品種に取って替わられてしまいました。

この時代の穂木から引き続き栽培されてきたとされるミッション種がソノマのプラザからちょっと外れたところにあるセバスチャーにという大きな古いワイナリーの畑に一本だけ、まだ残っています。

            

ユニペロ・セラ神父は1700年代に伝道所設立のシステムを作り、21カ所に建てられた伝道所のうちの9カ所を管理しました。

1769年から1863年にかけて南はサンディエゴから、徐々に北上して、ソノマのダウン・タウンに最北端の伝道所「サンフランシスコ・デ•ソラノ」が建てられて終了しています。

この神父の功績が認められて、聖人となったのですから、カリフォルの人々は感動しました。ローマ教皇がアメリカの地でのミサで初めてカリフォルニアに居住していた神父を聖人として認めたのですから、それだけでも歴史的です。それにエル・カミノ・レアル(ユネスコの世界遺産に申請しようという動きもあります)と呼ばれる21のミッション(伝道所)を回ってみようかという人たちも出てくるだろうから、観光地として繁盛する可能性もありですよね。

ここまでは良いことづくめです。でもこのことに複雑な思いを抱く人々が存在します。それはアメリカインディアンの祖先を持つ人々です。平和に暮らしていたインディアンたちは強制的に村から伝道所へと連行されて、キリスト教に改宗することを強制され、奴隷として扱われたり、拷問されたりということが、日常的に起こって、何千人というアメリカインディアンが殺戮されたました。この事実は歴史家によって確認されています。

アメリカインディアン、ポモ族の血が4分の一入っている友人のチャーリーは、インディアンの虐殺や拷問についての話をするときは、普段の温厚な表情が消えて、別人のように険しい表情になります。

インディアンたちの反対の声に対して、フランシス ローマ教皇はキリスト教に改宗することによって救おうとしたと述べたそうですが、インディアンの人々は、キリスト教に改宗しなくても平和に暮らしていたと主張します。

何年間も語られなかったユニぺロ・セラ神父の時代のインディアンに対する過酷な取り扱いに新たに光を当てられたこと、新しい世代が知らなかった事実を歴史のひとつとして知ってもらえたことで、インディアンの組織はプラスとし、互いの宗教を尊重しあうことを訴えています。

栄光の陰に暗い部分があるのが、世の常なのかな。

どの宗教でなければ救われないとか、一つの宗教が絶対とかいうのは、とても危険なことで、そのために歴史を見てもたくさんの悲劇が起こっています。

21世紀の今も世界のどこかで残念ながら宗教を理由にした虐殺が起こっています。

各人の宗教を尊重しあうということを、今、私たちは明確に意識しなければならないと思います。

 
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