5月中旬に1週間ほどルーマニアに行ってきました。
友人たち全員に「なぜルーマニア?」って聞かれました。
答えは「知らない国だから」
ルーマニアは悪くなかったです。それに物価が安い。ワイン1本が12ドル以下(120ドルじゃない!)。私が住んでいるサンフランシスコ周辺の異常な物価高の土地からやってきたら、物価がものすごく安くてショック。タクシーも15分ほど走っても2ドルほど。渋滞がすさまじいので、歩くと10分ほどの距離に20分はかかってました。空港まで40分が10ドルほど。あまりの安さに夫は感激して、チップを大判振る舞い。
街はとっても清潔でした。もっともブカレストの中心地だけを歩き回ったので、街のはずれの様子はわかりませんが。
街行く人々、ホテルやレストランで交わる人々から独裁者支配の影を帯びた表情は見えませんでした。控えめな態度と道行く人々は目を合わせないところに、独裁政権時代の面影を感じました。私たちにとって嬉しかったのは、アメリカ人も日本人もほとんどやってこない国にもかかわらず、珍しそうにジロジロと見つめる人が全くいなかったことです。人と目を合わせない、目を伏せてすっとすれ違うという感じなのです。
東ヨーロッパのリトルパリをイメージして作られた家と町並みに、独裁者が瀟洒な建物を壊して、ソ連を模倣して建てたという灰色の醜い建物(アパート)が所々に残っていました。当時の住民たちはこのアパートに強制的に移動させられて、抵抗したために行方不明になったり、自殺した人も多かったということです。
パリを彷彿とさせる建物があちこちに見られて、アルゼンチンのブエノスアイレスやハンガリアのブタペストを思い出しました。
特にオールドタウンと呼ばれる地区は豪勢できらびやかさ、荘厳さをたたえた建物が修復保存されていました。古い町並みの石畳の道を歩くと豊かな文化を誇っていた時代を思い起こされて素敵でした。私はやっぱりヨーロッパが好き。
コーヒーがとっても美味しいので感激。駅の構内にもあちこちにコーヒー販売機があって、味わいはエスプレッソに近いのです。ワイン生産の歴史も長く(資本が入れば、もっと良いワインが出来る可能性が大きい)コーヒー文化、飲食文化がしっかりと存在してました。
東ヨーロッパらしく、煮込んだ料理が多かったです。スープはどのレウトランでもコンソメなどは使わずに煮込んで作ってありました。
歴史
この国について記憶しているのは、独裁者ニコラエ・チャウシェスクとその妻が逃亡先で捕まって、銃殺された映像がテレビで報道されたことです。1989年のことです。
ややこしくて長い歴史を経て今のルーマニアがあります。1861年(江戸時代末期)にオスマン帝国宗王下自治国としての連合公国(ルーマニア公国)が成立します。1878年にルーマニア王国が成立。
第一次世界大戦、第二次大戦と紆余曲折を経て、ソ連軍の圧力により1947年にルーマニア人民共和国となりました。そして一国共産主義を唱えるニコラエ・チャウシェスクの独裁政権が牛耳っていて、1989年に銃殺(革命)されるまで続いていました。
現在はNATO(2004年)そしてEU(2007年から)に加盟して、共和制国家となっています。
インターネットはすごく進んでいて、電車の切符もオンラインで買うことが出来ました。でも駅とか列車は旧態依然。まだまだちぐはぐ。ヨーロッパの国々が経済進出を狙って入り込んでいるので、インターネット等は普及したけれど、それを埋める政治が追いついていないようです。
全く異なる二つの政権下で暮らしたのですから、当然だと思いますが、親と子の断層が広がっていて、親子のコミュニケーションはないとガイドの一人は言ってました。
ルーマニアへ行こうと提案されてサイトで調べたら、スリ、警察(偽警察も)が賄賂を要求する、野犬がたくさんいる、タクシーは高額をせびると書かれていました。不安になって何度もやめようかと思いました。でも夫はそんなのはパリでもローマでも同じだよと、平然としてました。どこの国へ行っても基本的な用心が必要だということなんですね。
行ってみたら、そういった被害は被りませんでした。そういう記事が書かれたのは2年ほど前で、野犬や警察の賄賂要求には遭遇せず、観光シーズンじゃなかったせいか、すりの被害も受けませんでした。タクシーはメーターに出る数字を繰り上げして請求するだけで、私たちが利用したタクシーは正直な運転手さんたちでした。もっともシステムがあって、レストランやホテルや空港ならマシンでタクシーを呼んでもらうのが大切。番号が書かれたタクシーがやってきます。流しのタクシーはユーロでとんでもない金額をふっかけてきましたが、どのくらいするかあらかじめ知ってたので、その価格を提示するタクシーに乗りました。日本のサイトではタクシーについて苦情が載ってましたが、日本と違ってメーターに出た金額を繰り上げすることは当然のようです。その額たるやドルだと50セント、円だと50円ほどです。
タクシーの運転手は「独裁時代は恐怖はあったけれど、1日8時間働いたら、給料がもらえて医療も教育費も只だった。今は1日12時間勤務して教育費も医療も自分で払わなければならない。土曜日も働かなくちゃならない。それに警察の汚職もひどい」と疲れた表情で話してました。でもこれはノスタルジアで、決して恐怖の独裁政治時代に戻りたいとは思ってないでしょう。
ホテルで親しくなった勤勉な従業員も「恐怖がなくなったけれど、政府の汚職がひどくて、、」と顔をしかめてました。政治腐敗と金持ちだけが裕福、中間層はせっせと働かなければならないという国は多いですよね。アメリカも程度の差はあっても、その傾向があります。
でも国民は頑張ってます。今年の1月に政府が汚職で逮捕されて刑務所に入っている人たちを釈放して、政権の悪用を認める法律が可決されたことに怒って、全国で60万人が反対デモを繰り広げて、この法律を撤回させています。
まだ豊かな国とは言えません。国民が裕福に暮らせる日まで年月がかかるかもしれませんが、道行く若者の表情は明るかったです。彼たちが暮らしやすい近代国家を作る原動力になるってくれればいいなと思います。
あと5年、10年後は、EU加入国として発展を遂げていることでしょう。
尻込みせずに行ってみてよかったです