メンバーは京都に残る人、東京に行く人と別れました。相棒と私とスポッツウッドの一家は、関西空港からフィリピンに飛びました。
マニラはすごい交通渋滞で15分ほどで行けるだろなというところが1時間はかかるので、ただただ忍耐。
マニラは相棒にとってノスタルジックな場所。大学卒業後、世界を放浪、東南アジアにたどり着いて、南太平洋を大型ヨットで巡りました。というと豪華版に聞こえるかもしれないけれど、タイで出会ったアメリカ人の男性がヨットを作ってこの辺りを航海するから、来ないかというので、参加したのだそうです。フィリピン、タイ、香港、シンガポールあたりをお客を乗せて航海して、28歳だった彼が、マニラでよく行ったのがヨットクラブ。このヨットクラブがまだあるならもう一度訪れたいというのが、彼の夢。インポーターがチェックしてくれたら、まだあるということで、行くことになりました。
ホテルからタクシーで約1時間ほど行ったところにありました。タクシーは渋滞の中をクラクションを鳴らしながら、走ります。クラクションを鳴らすにはそれなりのルールがあるらしく、衝突せずに走り続けました。どのタクシーもフロントガラスの前に小さなマリア像が飾ってありました。運転手さんの奥さんは香港にメードとして出稼ぎに行っていて、二入の愛情を保ち続けるのが難しいと嘆いていました。
無事に着いたヨットクラブは、寂れていましたが、スタッフの方たちが歓待してくれました。数人の小さなグループがランチを食べていました。海の見える見晴らしの良い席に案内されて、ビールを飲みながら、フィリッピンの鶏の煮込み料をいただきました。でもその海は汚臭がするのです。残念。
この辺りを少し歩いてみたいという相棒の要望をかなえてあげようと、外へ出たのですが、じりじりと容赦なく肌を焼くひどく強い日差し、、、そして湿度。めまいがしてきて絶えられなくなって、タクシーに飛び乗って、ホテルへ戻った次第。でも懐かしそうでした。
スポッツウッドのインポーターが私たちも招いてくださって、インポーターが所有するプロのバスケットボールのチームのプレイを見てきました。アメリカのカレッジで、そこそこかなというレベルのプレーヤーが2,3人混じって、後はアジア人がメンバー。バスケットボールは良くわからないけれど、テレビで見ているのと比べても、スピードがずいぶんとゆっくりで、シュートが決まらないのはあきらか。スポッツウッドのインポーターのチームは負け。
マニラは危険な土地だと相棒がいっていたけれど、本当のようで、インポーターの車2台で移動しましたが、どちらもボデーガード付き。「拳銃を持ってるの?」って聞いたら、にっと笑ってイエスといいました。誰かが襲ったら逃げていきそうなガードではなく、目線が鋭く、鍛え上げた体のきりっとした男性でした。チーム所有者はこの国ではすごいお金持ちでしょうから、誘拐の対象になりうるものねと、後でみんなで納得。
予断ですが、成田空港でガードのユニフォームを着て立っている方を見ましたが、小太りで年配。のんびりした感じで柱にもたれてました。日本は安全な国。ほっとしました。