大柄な黒人男性、ジョージ・フロイドを白人警官が首の後ろに9分以上も膝を押し付けて、窒息死させた事件の有罪判決が出されたことは、日本でも報道されたかと思います。
これで警察官の黒人の対応が少しは変わるかと思ったのですが、変わることがなく、数日後に、黒人男性を警官が射殺する事件が、数件起きました。
警官が黒人(特に男性)を射殺する事件は、今始まったことではありません。携帯電話のビデオで目撃者が経過を記録することが出来なかった時代にも起きていました。でも映像がないのでTVで取り上げることもなく、証拠の提示ができなくて、警察側の都合の良い主張が認められて、被害者は泣き寝入りするしかなかったのです。
日本で警官が質問もしないで一般人を殺すなんてことは、考えられないですよね。
射殺された理由が20ドルを偽札と知らずに使おうとした、車の窓に消毒スプレーを吊り下げていたことから警官が車をストップしたら車の登録期限が切れていた、捜索令状を渡しに来た(ライフルで後ろから射撃)と、たったそれだけのことで射殺されています。
黒人(特に男性)は、ガンを持ってる、犯罪を犯している恐ろしい人種だというイメージが社会的に定着しています。私もそのイメージを持っていて、ちょっとだけ黒人男性を恐れていました。実際、ギャングやドラッグディラーが居住している地区は危険なので、一般の人が行くことはありません。
黒人を差別するっていうことは、日本人の私にとって、黒人と対面したときに、「うわ、苦手」と、わざと近寄らないようにするとかといった感情的なものと思っていましたが、実はそれだけじゃないのですね。人種差別を基にした白人優先主義を貫いた政府の長い政策が関係しています。
黒人が住む危険地区、あるいは黒人だけが(間接的に強要された)住む一画は、学校もボロボロ、新鮮な野菜や果物を買うことができるスーパーなんてありません。公害にさらされた一画に住んでいる貧しい黒人がたくさんいます。
白人が住む居住地の不動産は黒人には売らないか、バカ高にして買えないようにする。
同じ仕事をしていて、能力が同じでも白人のほうが早く昇給する(これは女性の場合にも当てはまります)といった社会の構造的な差別がまかり通っているのです。このことを書くと長くなるので、省略します。
最近、警官に射殺された男性たちは大きな犯罪を犯した人たちではありません。でも警官にとってはどの黒人も一般的なイメージで対処するのだと思います。黒人が運転する車をストップしたときに、すでに警官の一人が銃を構えていることも稀ではありません。
普通に暮らしている黒人の男性たちは、警官に車を止められたら、殺されることを覚悟しているそうです。皮膚の色が違うということだけで、大学の教授であろうが、医者であろうが、国を守る兵隊であろうが、数度は、そういった危険な経験をしているとのことです。多分、オバマ前大統領も似たような経験をしていると思います。
黒人の母親たちは息子が幼いころから、警官に止められたら、抵抗しないで礼儀正しく接すること、運転中に止められたら、両腕はハンドルにのせておくこと、運転免許証を自発的に探さないこと(ガンを探していると勘違いされて射殺される)等を教えています。
そして母親は息子が家を出るたびに、無事に帰ってくることを祈っています。
不法な行為に対して公正な裁判を要求するのは当然です。
「警官が罰せられても、私の息子は帰ってこない」
最近、射殺された20歳の青年(一人息子)の母親は涙を流していました。
子供を亡くした母親の哀しみは世界共通です。
黒人の若者が殺害される事件は昔から起きていました。
母親の哀しみと強さが記録に残っている二つの大きな事件があります。
1955年8月、14歳の黒人の若者、エメット・ヒルはシカゴからミシシッピーの家族を訪問していました。大都市に住んでいる若者なので、差別が徹底している田舎の村だということが意識になかったのでしょう。従兄弟に見せるために敢えて雑貨店の前で白人の女性に近づいて見せたのです。その4日後に、白人女性の夫と雑貨店のオーナーが、若者を連れ去って、それはむごい暴力をふるって殺害して川に放り込みました。浮き上がった死体があまりにも無残で、若者の叔父は、唯一、イニシャルの入った指輪から甥だと確認できたのでした。
警察は早急に遺体の処理を主張したのですが、若者の母親、メミー・ブラドリーは遺体をシカゴに送ってくれることを要請しました。
一人息子のあまりにもひどい遺体を見た母親は、棺をオープンして葬儀をすることを決心しました。人種差別者がいかに残酷な暴力で息子を殺害したかを、世界の人に知ってもらいたいということからでした。地元の雑誌が死体の写真を撮って掲載したことから、主流マスコミが関心を寄せて、大きく報道しました。
全員が白人の陪審員は、結審の1時間後に、殺害者の二人に無罪の判決を出しました。
アメリカ国内で大きな怒りがわいて、黒人の市民権運動の機動力になったのです。
2017年にこの事件を追いかけて出版するために、著者が若者に侮辱されたと夫に話した白人女性をインタビューしたところ、エメットは彼女に一切触らなかったし、脅かしたりはしなかったと告白しています。
1981年のことです。それほど昔のことじゃありません。20世紀のリンチです。
KKKのメンバーが19歳の黒人青年、マイケル・ドナルドを殴り殺して木に吊しました。その理由は、警官が殺されて、黒人を容疑者として逮捕したのですが、陪審員の意見不一致のため、未決定審理になって容疑が釈放されたので怒り狂いました。その怒りを表明するためにマイケル・ドナルドを殺害したものです。この青年は煙草を買いに家から数ブロック離れたお店へ歩いて行ったのを、二人の殺害者が若者を車に無理やり入れて、殴り殺したものです。
マイケルの母親、ブーラ・マエ・ドナルドは悲しみに打ちのめされました。
1955年に白人女性に近づいたという理由で殴り撲殺されて木に吊るされた犠牲者の母親に共鳴して、棺をオープンしたままの葬儀を行いました。青年の顔が酷く変形するほどに殴られた遺体を葬儀の出席者、マスコミに見てもらって、いかに残虐な行為かを知ってもらいたいという意図からです。
犠牲者が住む小村、モビルの警察は犯人逮捕の捜索をしないことを知った母親は、息子のために犯人を捜すことを決意したのです。モビル村の警察はKKKのメンバーが犯人であることを知っていたにもかかわらず強硬な捜索をしませんでした。殺害者の一人は告白して罪を逃れました。
母親のブーラはモビル村の黒人コミュニティと協力してデモを繰り広げ、名の知れたジェシー・ジャクソンをはじめとする公民権運動の活動家の関心を呼び、この運動に参加したのです。
ついにFBIが捜査に乗り出しました。それでも操作は進まず。ようやく1983年、息子が殺害された2年後にアラバマのKKKのランキング2番目の白人男性の息子、ヘンリー・フランシス・ヘイを逮捕しました。陪審員は殺害者に死刑の判決を出しました。アラバマで黒人男性を殺害した白人が死刑の判決を受けたのは1913年以来でした。
ブーラは彼女の息子を殺したのは殺害者だけの責任ではないと考えて、KKKを訴えた経験がある公民権専門のモリス・ディズ弁護士に会いに行きました。
マイケル・ドナルド殺人事件はKKKの組織が命令したもので、KKKの組織の政策だと考えたました。不法な死だとしてKKK組織を連邦裁判所に訴えたのです。
この事件に関与したKKK(United Klans of America)はアメリカにおいて最も大きな組織の一つでした。この組織はアラバマ州で一世紀にわたって黒人虐待をしてきました。この組織が1963年に黒人の教会を爆破して女の子3人が死亡した事件がよく知られています。
マイケルの母親、ブーラは裁判で勝ちました。1987年に全員が白人の陪審員だったのですが、結審から、たったの4時間で判決を出したのです。
「United Klans of Americaと数人のメンバーに総額700万ドルの支払うこと」という判決内容でした。
「私にとって、お金は何の意味もありません。私の息子は帰ってきません。有罪判決が下って嬉しいです」静かな声で話しました。
United Klans of Americaは700万ドルを払うお金がなくて、アラバマの本拠地のビルを彼女に渡すことになったのですが、その建物の価値はなんと22万5千ドルだけでした。支払いを命じられたメンバーの中には支払うことができな人もいて、賃金が付け合わせられ、彼らの財産が押収されました。
嘆き悲しんだマイケルの母親、ブーラ・マエ・ドナルドの嘆き、哀しみ、怒り、強さが、残酷なリンチ事件が再び起きることを防いだのです。
母親のブーラは歴史的な判決が出された翌年、1988年に亡くなりました。身も心も疲れ果てたのでしょう。息子のところへ逝きました。
「彼女の意思は岩のように硬かった。決して撤退しませんでした」と彼女の弁護士は話しています。
現在も黒人のお母さんたちが哀しみをばねに、正義を求める戦いを続けています。黒人男性(黒人全て)の命の尊さを警察が理解する日が来ることを願っています。バイデン大統領は時間がかかるでしょうが、対策を打ち出すことでしょう。
*KKKはアメリカの白人至上主義者のテロリスト憎悪グループ。その主な標的は、アフリカ系アメリカ人だけでなく、ユダヤ人、移民、左翼、同性愛者、カトリック、イスラム教徒、無神論者です。
AP photoを使わせていただきました。