No. 24 Date:2006-08-28

The Emperor of Wine (ワインの帝王)を読んで感じたこと。

一人っ子のパーカーは東海岸の中級家庭で子供の夢をいつも支えてくれる優しい母親と理解のある父親にかわいがられて育った。食卓にワインが出てくることはほとんどなく、当時の典型的なアメリカ人家庭の料理を食べて育った。
高校生時代からのガールフレンドの影響を強く受けている。社交的で美人のパトリシアに惹かれていたパーカーはフランス語の勉強にパリにいる彼女を訪ね ていく。緊張して二人で一流レストランへ行く姿がほほえましい。この本はごく普通のアメリカの青年であるパーカーの素顔を描きながら、段々力を得て、本書 のタイトルとなっている「ワインの帝王」に登りつめる過程を書いている。

ベビーブーマーたちはパーカーを含めてフランス文化、ワイン、フランス料理に魅惑されていた。1960年、70年代のアメリカは料理とワインに関心を 深め、 ジュリア・チャイルドがフランス料理を普及させ、そしてカリフォルニア料理の創立者の一人となったアリス・ウオーターが登場した時代となる。パーカーはそ ういう時代の中でベビーブーマーの一人としてワインへの関心を深めていく。

印象に残ったのは、ワインに対する彼の情熱だ。有り金をはたいてのワインの買い集めぶりがすごい、中途半端じゃない。パーカーの超ワインギークぶりを示す エ ピソードがおもしろい。6人の熱狂的なワイン愛飲家がシャトー・ラツールの19のヴィンテージのヴァーティカル・テイスティングを行うことになった。これ に参加するパーカーは、数週間前から味覚、精神、体力を最高の状態に保つことに専念。その日が近づくにつれて、風邪や流行性感冒に罹るのを恐れて、アスピ リン、ビタミンCを飲み、毎日のエクササイズで汗をかいた後に冷えないように注意をし、胃と舌を損なわないように極端に淡白で味のない食べ物を食べたとい う。
サッカーをしていたアメリカのスポーツ選手としてのトレーニングが彼にガッツと意志の強さを与えている。アメリカの法律学校では弁舌さわやかにいかに相手 が悪いかを説得する強固な意思、的確に物事を表現する筆力等、法律を学ぶとともに人柄が変わるほど鍛えられるらしい。パーカーが成功した理由の一つに弁護 士としての訓練とスポーツ選手として窮地に立っても戦う意志の強さ、典型的なアメリカ人としての良くも悪くもなる傲慢さと我の強さ、そしてフランス語でい つもパーカーを支えていたパトリシアの陰の力があげられるだろう。
1970年代のアメリカはフランスワインならいくら出しても買うというワイン飲みがまだ多い時代だった。ブルゴーニュは複雑で理解が困難だが、ボルドーは 第1級の シャトー名を覚えればいいのだから、それほど良くないヴィンテージにもかかわらずどんどん値が吊り上られげても買っていたのだ。しかしそういった消費者た ちのワインに対する感覚が磨かれ、あちこちでテイスティンググループが作られ、ブランドテイスティングが行われだした。パーカーもワイン狂のグループを作 り熱心にワインを学んでいた。ブラインドでのテイスティングを信奉していたこのグループは、A‐F、20点満点(UC デイヴィス校で使っていた)などの 様々な評価方法の試みた。20点満点の方法はマイナス面を20点から引いていく方法で、プラス面を加えていくのに比べるとワインに対して否定的だという理 由でパーカーはこの方法には賛成できなかった。テイスティンググループのメンバーの一人が(パーカーは誰だったか記憶がないそうだが)100点方式のアイ デアを提案した。実際は50点方式なのだが、ワインであるというだけで50点がもらえるのだ。パーカーはあとの50点を色と外観に5点、アロマとブーケに 15点、味わいとフィニッシュに20点、全体の品質と将来性に10点と細分化した。常々、私も思っていたのだが、85点と86点のワインに明確な違いがあ るのかと著者がたずねたら、ちょっと驚いたようだったが、このシステムを情熱的に擁護して、彼にとっては、その違いは警察署で容疑者が並んだときに背の高 いのと低いのがいると同じくらいに明らかだと答えたそうだ。(ホントかいな!)

1982 年のボルドーの評価で彼の存在が注目される。パーカーいわく「運命の女神が僕を見て微笑んだ」のだ。それまでも、初版から疑問を投げかけていたように、最 初の5年間、パーカーは取り付かれたように偉大とされている第1級のワインはその評価に値するだけの質があるのかと何度も疑問を投げかけていた。1983 年、その執念が実った。最高のタイミングだった。ワインの評価に自信がなかったアメリカの消費者は確固たる信念で評価をするライターを欲していた。パー カーが82年のボルドーを絶賛。ボルドーはそういうライターの力を得てアメリカの膨大なワイン市場に入り込むことになったのだ。この時点からパーカーはボ ルドーと密接に結びついて力を増して行った。

パーカーはアドヴォケート誌を発行するのに、当時、消費者のヒーローだった弁護士ラルフネーダーを意識している。もっとも最近のラルフネーダーはちょっと 視野がずれてしまったらしく大統領選挙に打って出て、ゴアが得るはずの投票を横取りして、結果的に民主党敗北に加担。それを良しとしている視野の狭さは年 のせい?それとも自我の強さに理論は勝てないのかも。
ワインを売りながら、あるいはワイナリーと親しい関係にあって、ワインは無料でもらい航空運賃や4つ星のホテルの宿泊料、豪華なレストランでの食事代を支 払ってもらって、ワインについて公正な評価ができるのか?ラルフネーダーが暴露した議員と産業界の癒着がワイン業界に起こらないはずがないとパーカーは 思った。ワインアドヴォケイトを出版することにしたときには、ラルフネーダーの哲学をしっかりと踏襲した。誰からの影響も受けずにワインを評価するため に、広告は一切とらない、載せない、航空券を含む交通費は全て自分で払う、ワインは自費で購入する、どんな役得も拒否するという方針を立てた。母親から 2000ドルを借りて*1978年に初出版をした。初版はタイトルがゆがんでいたり、スペルミスが例えばPomerolが Pomeralと書かれていたりと初々しいものだったという。

当たり前なのだけれど、ショックを受けたのはボルドーの有力者たちのパーカーの利用の仕方だ。ボルドーは樽からの試飲はさせない方針を持っていた時代で、 無 名のパーカーがやってきても試飲させないシャトーもあった。それがパーカーのポイント次第で、大きな購買力を持つアメリカの市場が動くこと、アジアがそれ に続くことを、ボルドーのシャトーのオーナーたちはすばやく察知し、パーカーの点数次第でワインの価格をやたらに吊り上げた始めたのだ。アメリカではベ ビーブーマーたちがワインに目覚め始め、景気のよい時代であり、アジアの景気も向上していたことから、相乗効果でボルドーの価格がぐんぐん上がっていく。 パーカーが確固たる地位を確立し始めたのは、時代の変化と消費者が求めていたものをパーカーが持っていたことだ。そして今の地位を築く全ての要素に良いタ イミングでめぐり会った。

シャトーのオーナーたちはパーカーの点数に戦々恐々。一刻も早くパーカーの点数を知るために様々な手段を講じた。点数次第で価格を決める(吊り上げる)た め だ。粗忽なアメリカ人に対する蔑視と点数次第で値が下がるかもしれない恐怖心の両方を感じていたはず。フランスワインの売上げ貢献したことと、フランスワ インの再認識に大いに付与したパーカーにミッテラン大統領が自らパーカーに勲章を授与した。

パーカーに対してボルドーとは対照的な態度をとったのがブルゴーニューだ。パーカーの力を押し上げたのはボルドーのまだ樽に入っているワインの将来を予測 して売るというシステムだ。一般消費者は、樽から試飲できないのだから、だれかの評価に依存するしかない。ブルゴーニューの状況は違う。まるでくもの巣の よう にこんがらがっている。並ワインと良質ワインが、時には同じ価格で売られている。アメリカの消費者は買うべきホットなワインと避けるべき生産者を知りた かった。パーカーにとって絶好の地区のように思えたのだが、ボルドーのような絶大な影響力はなかった。ブルゴーニューの生産者は少量しかワインを生産して いないから、パーカーが好きでも嫌いでもワインは売り切れたからだ。

印象に残ったのは、パーカーがろ過をしていないワインにこだわったことだ。偉大なブルゴーニューのワインはろ過をしていないものというのがパーカーのマン トラだった。パーカーが訪問する前になるとろ過機を隠す生産者もいた。ある生産者は真っ向からパーカーに反論、そして反対した人物のワインはひどい評価を 受 けた。また訴訟になったケースもある。こういうことが起こってから、パーカーはブルゴーニューという地区、文化、ワインを理解していないと批判が渦巻き冷 たい関係になったのだ。

もう一つ強く印象に残ったのは、パーカーの批判に対して、彼は常に「自分の成功をねたんでの批判」と容赦なく反撃するところだ。こういう反撃だと反撃する ほうが恥ずかしくなる。確かにパーカーの味覚は素晴らしい。でも一人の人間の味覚に世界中のワイン市場が影響される状況は異常だ。それにミシェル・ロラ ン、 ヘレンターリーが加わって、帝国(このネーミングには抵抗があるけれど)を築き上げた。パーカーは引き締まった酸味の強いワイン(例えばとても魅力的な ニュージーランドのソーヴィニヨン・ブランやハーブ系の香りと味が強く酸味の強いロワールの赤など)が属するカテゴリのワインは、料理とよくマッチするけ れど、関心がない。95点以上のポイントを与えるワインの共通点はよくご存知のように、口当たりがリッチであること、風味が凝縮していること、豪華な果実 の風味が豊かなこと、そして赤なら酸度が低いことだ。100を得たワインの評価の説明で使われている言葉は大きくて(どっしりして)パワフルというもの で、しなやかでデリケートというのはない。

彼を批判する者を徹底的に叩き、彼の崇拝者へのイメージ保持のテクニックは抜群だけれど、それだけで今の彼があるわけではない。彼が薦めるワインは特徴が はっきりしていて濃くて甘くて品質もいい。それを支える人が世界中にいるということだ。ただしそういうワインだけがベストだと言う評価は間違っている。 パーカーの推薦がなくても素晴らしいワインが世界にたくさん存在することは言うまでもないからだ。

ロスアンゼルスのワインショップ「ワイン・ハウス」で面白い実験をしている。パーカーが評価を出した2つのカリフォルニアのシャルドネ(92点と84点) を 並べて展示して、パーカーの点数とコメントを記載した札をつけた。92点と84点では売れる数が10対1だった。その後、点数を消してパーカーのコメント だけを記載して展示したら、同じ割合で売れたという。この結果に私は驚かないけれどね。

ゆっくりではなく迅速なのが受け入れられる時代に入っていたことと、アメリカ人はハリウッドのハッピーエンドの物語が好きなことも、パーカーを有名にする のに 良いタイミングだった。小さな無名のワイナリーが一夜にして有名になる。パーカーはそのワイナリーを自分が見つけて有名にしたことに、満足を得るのはもっ ともなこと。1990年代に右岸、特にサンテミリオンの少数ワイナリーをガレージワインとして世界に知らしめた。パーカーの点数が高い値段をつけることを 正当化した。シンクオナンに高い点を付けるからそれまで使っていた個人の電話番号ではなく専属を設置するようにとパーカーが生産者に電話している。実際、 そのとおりでシンクオナンは一夜にして超有名、電話が鳴りっぱなしだったという。カリフォルニアのカルトワインと呼ばれるワインたちも、品質の高いワイン だから必ず世界で高い評価を受けただろうが、パーカーがそのスピードと高価格を加速させたことは間違いないだろう。

読んでいてちょっと面白い(皮肉)と思ったのは、初出版から2年間、フランスワインは良いワインであっても高すぎるので推薦できない、お金の巻上げで不愉 快 だと痛烈に批判していることと、カリフォルニアワインについてアルコール度が高すぎる、オークの風味が強すぎると批判していることだ。1980年4月号 (第10号)で1975年のジョセフヘルプスのエーゼル・ヴィンヤードと1975年のケイマス、スペシャルセレクションがカリフォルニアのカベルネでベス トと褒め、カリフォルニアワインの挑戦が無気力なフランスワインの生産者を刺激することを願っていると書いている。

もうひとつ面白かったのは、パーカーは口当たり(texture mouthfeel)が重要で,dennse,thickといった言葉を良く使っているということと、男性ホルモン、テストステロンがたっぷりの言葉  big, hefty,massive,huge,ferociousを頻繁に使って、男性にアピールしているという分析だ。なるほどね!
いろんな内部事情が詳しく書かれていて愉快だった。そのひとつが科学分析とコンピューターを駆使して、パーカーが90点以上を付けるワインを造る策を教え る Enologixという会社がある。75のワイナリーがこの会社の顧客だという。中でもこの会社が強く説得して改良し1994年インシグニアが96点を獲 得。他にセント・フランシス、ダイアモンド・クリーク、ハーン・エステートを挙げているが、確かに、これらのワイナリーのワインはパーカー好み(今風)に 変わっている。

ニューヨークあたりではアンチ・パーカーのワインをセレクトして成功しているワインショップやインポーターがいるということで、これもパーカーのおかげなのだ。 最後に彼はいつ引退するのだろうかということに触れて、衰退の兆しがないと結論付けている。