グアダラハラに住む知人、エンリケ&マリアエレナ夫妻から息子さん(10歳)とお嬢さん(7歳)のお子さんの聖餐式をするからいらっしゃいという招待。
グアダラハラはテキーラの産地でもある。エンリケはテキーラを生産しているので、テキーラのことを知る良い機会でもあると、いそいそと出かけた。
30年前にグアダラハラへ行ったときは、料理がものすごく辛くて食べるものがなくて、数日で撤退。
今回は近代化された大都市になっていて、涙が出るほど辛いメキシコ料理にはおめにかからなかった。楽しく食べられてご機嫌。グアダラハラのスープは美味しい。ソーパ・デ・トルティラとスペイン語の名前は忘れてしまったけれど、ビーフスープが美味しかった。それにトルティリャもチップスもその日に作るので、フレッシュ。なんともいえない美味しさ。この町のレストランのサービスは高級店もカジュアルなレストランも、素晴らしいので感心した。
もうひとつ、メキシコ人気質なのだろうと思われることに気が付いた。道を聞くと知らなくても知らないとは言えないので、適当な道順を教えてくれる。2人に聞くと違う答えが返ってくる。ホテルのタクシーの手配をしてくれる男性もそうだったので、最初は戸惑ったけれど、慣れたら、なんとなくおかしくなってしまった。
気温はまるでソノマの夏のよう。日中は25度ほど、夜になると10度にぐんと気温がさがる。そして空気は乾燥している。雨が降り続いていた冬のソノマから行ったので、やったね!
交通渋滞はすごい。フィリピンのマニラを思い出した。相棒はレンタカーで回りたいといったのだけれど、アメリカで聞くこの国のニュースは危険、アメリカ人はお金目当ての誘拐のターゲット、よくメキシコへ行く友人も車は借りないほうがいいよと忠告。それでしぶしぶタクシー。でもタクシーも悪くなかった。基本ルールはメーターが付いていてもまず乗る前にどこそこへ行くのだれど、いくらかと料金を聞く。交渉が成立。それにチップをちょっと足す。だからどんなに道が混んでいてもカチッ、カチッとメーターが上がることに気をもむ必要がない。
グアダラハラはドラッグ戦争に巻き込まれていないということで、平穏だった。それにアメリカからのツーリストはこの町には来ないようだ。たいてい海辺とか湖畔にある町に滞在するとのこと。
歴史のある町で中心地に大きな教会、博物館、近代美術館などが並んでいる。
グアダラハラの町には超モダンな地区、洒落た若者たちが集まる地区、貧困地区と、世界の都市と同じようにいろんな地区が存在する。裕福層が足を運ぶ世界のブランド商品が並ぶ高級モールはスペイン語じゃなくて、英語を話すというジョークを耳にした。英語圏からの人が来るからということではなくて、裕福な人たちは英語の教育を受けているということなのだ。
国境を越えて違法にアメリカへやってくるメキシコ人たちとは違って当たり前。この町に住む人たちはそれなりに暮らしていけるから、国境を越える必要がない。知人が属する裕福な階級はアメリカへは仕事か休暇でやってくる。教育も十分に受けられず、生活費を稼ぐことができない人たちが違法に国境を越えるのだ。大都市で仕事をして都会の生活を楽しむスタイリッシュな人たちでこの町は混み合っていた。サンフランシスコよりホームレスの人が少なかった(目に入らなかった)。
この町のサービスに最も感心したのは、朝早くにサンホゼに向かう飛行機に乗るために朝4時にタクシーを頼んだ。きっちりと4時前にきていた。値段の交渉はノープロブレム。タクシーを降りたら、トランクに入れてあった私のスーツケースを取り出して、取っ手をきちんと上げて、それから渡してくれた。次は相棒のも同じようにして、二つあったので、軽いほうを大きなスーツケースの上に乗せて、取っ手を引いてすぐに歩けるようにして手渡してくれたこと。これは今までどの国のタクシーでも経験したことがない。
カリフォルニアでメキシコ人は怠け者という人もいるけれど、この町で働いている人たちからは、そういうことは微塵も感じなかった。
国民性を簡単に決め付けてはいけないことを改めて感じた。