ソノマの暮らしブログ

カリフォルニア州ソノマに住んで25年。第二の故郷と決めた美しいワインカントリーで、ワインを追いかけて暮らしています。

2017年 を振り返って

 

 

今年もあっという間に終わってしまいました。皆さんの2017年はいかがでしたか?

私は、今まで、年末に1年を振り返ってみるということはあまりしなくて、「この一年はどこへ行ってしまったのだろう。私は何をしたのだろう、、」と、戸惑いを感じて、1年が終わっていたように思います。

なぜか今年は振り返る気持ちになりました。年のせいかな(笑)

両親が亡くなって、寂しいけれど、どうしてるかなといつも気になって、心配していたのですが、もう心配しなくてもいいので、心に余裕ができたのだと思います。

今年も旅行の多い年でした。

1月に父の49日で札幌へ、2月は行ってみたことのない国へ行こうというので選んだルーマニへ、5月は仕事で東京へ、そしてまた6月は仕事で東京、11月は仕事兼休暇でベルリンとニュルンベルグへ、12月は父の一周忌で札幌へ行きました。

今年はみじかな人達に「人生って過酷だな」と思わせることが起こった年でもありました。

夫の弟の長女が26歳で事故で亡くなりました。娘に先立たれて泣き崩れる義理の妹を抱きしめてあげるだけで慰めの言葉もありませんでした。

弟が多系統萎縮症という病気になってしまいました。悲しい目で症状が進行しているのを受け入れている弟を見て、どうしてあげることもできない絶望感を感じています。

親友の50代のカップルの奥様が認知症になって、症状が早い速度で進行していているのにもかかわらず、ご主人は一人で(子供がいません)仕事をしながら面倒を見ています。一人で世話をする大変さを、私は聞いてあげることしかできません。

ソノマとナパで起きた膨大な山火事の被害を受けた人達。家を失った方たちは今年のクリスマスはとっても辛かったと思います。

 

過酷な日々を過ごされている方たちが、写真の青空のようにすっきりした気持ちで過ごせる日が1日でも多くありますように、そしてそんな日が一日も早く訪れますようにと祈るばかりです。

よく言われることですが、明日は何があるかわからない人生です。毎日を充実させて(難しい!)、感謝の心を持って暮らしたいと思います。

心から感謝したい2017年の出来事をあげてみました。

  • 無事に一年を過ごすことができたこと。
  • 11月に夫が腰の手術をしました。手術がうまくいって順調に回復していること。
  • 12月に札幌で高校時代の同窓会に参加することができて、クラスメートに再会できたこと、そして中学時代の憧れの先生にも、この会で再会できたこと、この会の開催準備をしてくれた同級生に感謝。

  • 札幌を離れて30年も経つのに、友人たちが帰るたびに必ず時間を割いて会ってくれること。

最後にこのブログを読んでくださっている方に感謝します。ありがとうございます。

良いお年をお迎えください。

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1750 ヒット

アメリカと銃

 このブログを書こうと思ったのはラスベガスでのライフルによる大量殺人事件が発生した時でした。その後テキサスでは教会内に発射、25人を殺害、そして今日は北カリフォルニアで4人が殺されたというニュースが流れています。

多分、日本でも報道されたことと思います。ラスベガスで2万人以上がカントリーミュージックを楽しんでいるコンサート会場に、ホテルの32階から雨のように銃弾を発射、300人以上が負傷、58人が死亡しました。 これまでに何回もこのような事件が起きていますが、ラスベガスでの事件で最も多くの人が殺されました。 大量殺人の定義は4人以上の死亡者が出た場合だそうです。

2012年12月にサンディフックという小学校で20人の児童と6人の大人がマシンガンの襲撃で殺されました。その後、1500件の大量殺人事件が起きて、1715人が死亡、6089人が負傷しているとのことです。 サンディフック小学校で幼い子供達が殺された時には、これでアメリカも銃の規制法ができるだろうと思ったのですが、ナショナルライフルアソシエーション(NRA)から大枚の寄付を受けている政治家たちの反対によって成立しませんでした。この時にオバマ大統領が流した涙と規制法に反対する政治家は恥を知るべきと言ったのを強く記憶しています。

日本は銃の所有(レクレーション用を除いて)は強く規制されています。日本がそうなのだから、先進国の最先端を行く(その昔、そう思ってた)アメリカだから、銃の規制法が当然存在するはずだと、単純に思っていました。そうではなくてアメリカ憲法修正案2条で銃の所有が認められているのです。

アメリカは最も銃による死亡者が多い国です。理由は明らか。銃が容易に手に入るから、銃所有者が多く、銃による死亡者も多いということです。 銃襲撃による大量殺人は大々的に報道されますが、銃による死亡者の多くが自殺だそうです。睡眠薬を大量に服用したり、手首を切るのに比べると確実に死ねるからだそうです。

ハーバード大学の調査によると銃による殺人はカナダの6倍、ドイツの16倍だそうです。銃による殺人なんて滅多にない日本から見たら、信じられない数字です。 幸いなことにカリフォルニアは南部や中西部のように保守的な州に比べたら、厳しい銃規制法があるので、銃による死亡者は比較的少ないです。大量殺人はそれほど発生していません。といっても日本などに比べたら、銃による殺人事件はずうっと多いですが。

昨年の5月にアメリカ中西部を訪れて、銃を所有する人が多いのはなぜかよくわかりました。都市を離れて次の都市へ行くまで、延々とトーモロコシ畑が続いていました。隣の家はずうっと向こうにあります。強盗に襲われた時に、警察に電話しても、遠くて、すぐにはやってこないことは明らかです。こういう環境の中では一軒に一つくらい保身用に銃を持っていたいと思うのは納得できました。

オバマ大統領を中心に民主党の議員たちは銃規制法を成立させようと努力したのですが、共和党議員はもちろんですが、民主党員の中でもガン規制に反対する議員がいました。 何年も前に銃規制法を成立させようとしたことがあったそうです。そのときにこの法律に賛成した民主党議員の多くが選挙で落とされました。NRAが大量に賄賂を振りまいて選挙民を反対に回らせたのでした。ニューヨーク州で以前にクモオ知事が落選覚悟で銃規制法に賛成して、NRAによって落選させられました。今もNRAを恐れて銃規制法に反対する議員たちが(共和党の大多数)銃規制法成立を潰しています。 その言い訳は「オバマ大統領は銃を国民から取り上げようとしている。憲法で保障されている権利を否定するのは憲法違反だ」という建前でした。

オバマ大統領と規制法賛成派の議員たちは銃を取り上げようとしているのではなくて、銃を販売するときには、厳重にバックグラウンドをチェックすること、精神不安定な人には銃を売らないこと、半自動小銃(襲撃用の武器)販売禁止、銃を華々しく宣伝する雑誌にも規制をかけるといった内容だったのですが、反対派は「銃が取り上げられる」と主張して規制法の設立を潰してきました。

1990年代初めから、NRAの会員に所属している一般庶民も含めて、大半のアメリカ市民は購買時の厳重なチェック、襲撃用武器である半自動小銃の販売禁止などについては賛成するとアンケートに答えているにもかかわらず、共和党の政治家たちは規制法成立に反対してきました。

大量殺人に多く使われているのは戦闘用に設計されたセミオートマティック(半自動小銃)ライフルです。この銃を設計した人が「戦場で一瞬にして大量の敵を殺せるように設計されたもので、一般人が使うためのものではない」とインタビューで答えていました。その戦闘用のライフルが、なんとスポーツ用と銘打って許可を取って販売されているのです。お金儲けのためなら人の命も関係ないのでしょうかね。

トランプ大統領はオバマ前大統領が出した「精神不安定な人には銃を売らない」という大統領命令を、さっさと取り消しています。そうです。アメリカでは精神不安定な人物でも銃が買えるのです。そして大量殺人の犯人は、その多くが精神的に不安定な人です。サンデイフック小学校で大量の子供達を殺した犯人は精神的に病気でした。精神的に不安定と漠然と書いてますが、実際には詳細の定義があります。ここではソーシャルセキュリティからお金をもらっている人で財産管理など自己管理ができない人などが含まれているということだけで、詳しいことは省略します。

いつも大量殺人事件が発生すると、銃規制の話をするのは死んだ人に失礼だから、事件直後にその話題を政治化するのはやめたほうがいいという恒例の文句で避けてきてます。

今日も北カリフォルニアで4人が銃で殺されたというニュースが流れています。

銃規制に反対してきた議員たちの手は銃で殺された人たちの血にまみれている、と私は思ってます。 サンディフック小学校がある地区の民主党議員は、銃規制をいつも訴えています。

この声が一日も早く法律となって、ひとりでも銃による犠牲者が減ることを祈るばかりです。

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1912 ヒット

ソノマとナパの山火事

10月8日の夜、強い風が吹き続けました。

きっかけは記憶してないのですが(多分、避難の可能性があると予測して、申し込みの通知が携帯に入ったのだと思います)、その夜、携帯電話に緊急通知を受ける申し込みをしました。

夜の12時頃にビーンと緊急通知が入ったので、チェックするとナパで火災が起きているという通知でした。ナパの火事ならソノマは大丈夫だろうと、そのまま寝ることにしました。その後3回ほどビーン、ビーンと通知が入ったのですが、無視して寝てました。

私は自宅の電話に出なかったのですが、夫が取ったら、外を見て火が見えたら避難するようにというメッセージだったそうです。

翌朝、自宅のあたりはかなりの煙でした。プールサイドのチェアが2個ともプールに落ちていて、パラソルも倒れていたので、風がすごく強かったことに驚きました。でも隣町のサンタ・ローザがすごいことになっていることは、まだ知りませんでした。

夫はこの日、ヨーロッパに出張する予定でした。庭に出てじっと外の様子を見てましたが、午後から飛行場へ行くことに決めたようです。私も火事は日本にいるときに何回か目の当たりにしているので、避難の準備だけしていたら大丈夫だろうと思ったので、ヨーロッパ行きを止めませんでした。

テレビをつけて、大変なことになっているのを知りました。火の手が隣の地区まで来ていることを知って、スーツケースに貴重品や数日の着るものを詰めて、すぐに持ち出せない物は車に積みました。9日と10日はテレビのレポートと市役所のサイトと緊急通知をチェックして一日が過ぎました。

娘にサンフランシスコに来るようにと、強く言われたのですが、それほど緊急事態ではないと思ったので、ソノマにいると主張。でもこの地区で残っているのは私だけだったら、ちょっと危険だなと思って、火が見えるかどうかを点検しながら隣の家をチェック。まだ明かりがついていたので安心。そしてこの夜の火事の状態について確認のために2軒の家に電話しました。

「今夜は大丈夫だと思う。でも私たちは必需品は全部車に積んで、避難準備ができている。恵美子は準備できてるの?」

「イエス、猫をケースに入れる時間を考えて、10分あればOK」

「避難するときは一人で住んでる隣のジャスリンと恵美子とうちの家族で一緒に出ることにしましょうね。そのときはすぐに連絡するから」

とっても頼もしい隣人。

寝る前に緊急避難命令が出たときのことを考えて、着る服を一箇所にまとめておきました。そして頭の中で、どの順番に避難準備をするか、まず猫をケースに入れて、スーツケースに洗顔用具を詰めてと、リハーサルをしてから寝ました。

熟睡(本当です)して、翌朝外に出てみたら、近くの山も見えないほどのすごい煙。家の中も煙っぽい。火事のコントール率は0%とテレビで報告。まだまだすごい勢いで一時は6つの火事が同時に起きてました。

隣の奥さんのバーニースは看護師さんなので、「手術用のマスクがあるから、必要なら持って行くわよ」とメッセージ。本当に親切。

「日本で買ったアレルギー用のマスクが数個残っているので、それがなくなったらお願いします」と返信。

11日はヘリコプターや飛行機が飛ぶ音がすぐ近くで聞こえるし、煙に加えて灰も飛んでくるので、今日は避難しなきゃならないなと直感。朝一番にシャワーをして外へ出る服を着ました。

火事が発生した2日間は煙が濃すぎて下が見えないので、大量の水や消火剤をまくヘリコプターも飛行機も飛んでませんでした。消防士も400人しかいなくて、避難警告をして市民を守るので精一杯。有名なホテルは消防士が一人もいなくて、完全に焼け落ちるまで放置。

「娘の恋人の警察官から電話が来て、避難命令がもうすぐに出るから、早めに家を出たほうがいいと言ってるので、避難するよ」夕方の四時頃、バーニースから電話。

隣のご主人のジョンがガスの元栓を閉めに来てくれました。

ジョンの後をついて道路に出たら、避難する人の車で渋滞。いつもなら20分で通過できる道が1時間かかりました。煙のため辺りが薄暗く、遠くに煙がムクムクと上がっているのが見えて、恐ろしかったです。

予備軍の人たちや他州から消防士さんたちが応援に駆けつけてくれて(10時間もかけて来てくれた消防隊もありました)1500人(だったと思いますが、、、)の消防士たちが24時間火事と戦ってくれました。

 

地球温暖化が、この火事の驚くほどに早い進行に関係しているそうです。カリフォルニアは数年間、旱魃に悩まされました。そして今年の冬に洪水があちこちに発生するほど大量に雨が降りました。雨の恵みを受けて、木を含む植物が例年よりも大きく成長。そして夏は猛暑が(夏は寒いはずのサンフランシスコまで)続いて、植物は完全に乾燥。山火事の可能性が高いと危険警報が出てました。山火事の原因はまだつかめてません。普通なら一箇所で終わるはずの火事が、運悪く乾いた強風のため火の勢いが増し、あっという間に飛び火してサンタ・ローザや隣の小さな二つの町の住宅街を一瞬にして火の海にしてしまいました。

6日間、娘の小さなアパートで2匹の猫と一緒に暮らしました。行くところがあって感謝。

解除が出て、前と同じ我が家を見て、感激。家に帰って2日目あたりからようやく緊張が解けてきました。

災害はいつやってくるか、予測がつきません。

今年の冬はまた大量の雨が降るという予報です。家の周辺の木の健康状態をチェックしてもらって、倒木を避けようと思っています。一度、大雨のため、前庭の松の大木が倒れたことがあります。幸運にも家から少し離れていたので、幸運にも被害はありませんでした。

毎日平穏に暮らしていることのありがたさを、再確認しました。

家が全焼(5200軒)してしまったたくさんの人たち、家族を失ってしまった人たち(42人死亡)の戦いはこれからです。

昨日、プラザのブティックに寄ったら、オーナーの女性と涙声で何か囁いてハグをしている40代の女性が目に入りました。女性の家と彼女の母親の家が焼けてしまったと、後からオーナーが教えてくれました。

友人たちと火事の話をすると、知人の家が焼けてしまったということが、必ず話題になるほど、被害が身近に起きました。

胸が痛みます。

様々な組織が救援活動をしているので、何らかの形でサポートしようと思っています。

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2025 ヒット