ソノマの暮らしブログ

カリフォルニア州ソノマに住んで25年。第二の故郷と決めた美しいワインカントリーで、ワインを追いかけて暮らしています。

廃物ゼロ運動

リサイクル用のプラスチックの行き先がなくなって山積みになっているというNHKの報道を見てショックを受けたのは、昨年のことです。

これまでリサイクル用のプラスチックは中国に送っていたのだけれど、中国が買い取りを止めたのが原因で、日本のリサイクルの工場に大量に送り始めたけれど、零細企業で資金が不足で工場拡大ができず、送り込まれたプラスチックの処理が間に合わないという内容でした。

同様の問題がアメリカでも起こっていることを知りました。2年前まで、大量にリサイクル用のプラスチックを買っていた中国が、世界からリサイクル用のプラスチックを受け取るのをやめたからです。さらにベトナムとタイも数年後にプラスチックの廃物を輸入するのを止めると発表。他の国でも、有効性が低い小さな工場を閉鎖して、不適切な物質が混合されたプラスチック廃物はコンテナごと送り返すなど受け入条件を厳しくしたそうです。

これまで豊かな国が排出するプラスチック廃物を受け入れていた国々が受け入れを拒否するようになったことを機会に、廃物ゼロ運動が生まれました。

ソノマでもこの運動が始まっています。

全国ネットのオーガニック専門スーパーでは、サラダバーや温かい料理を売っているコーナーでは再使用可能なお皿やボールを置いてあります。

店頭に置いてあるビニールの袋も、腐敗する袋と腐敗しないビニール袋と果物などは紙の袋を選べるようになっています。

進んでいる(?)人は、布や網の袋を持参していますが、まだまだ少数です。

私も袋は持っているのですが、まだ、使う勇気がありません。ファーマーズマーケットに行くときに使おうと思っています。多くの消費者(私も含めて)が当たり前のように布や網の袋を持ってレジに並ぶ日が、近いうちにやってくるのだろうと思います。

日本と違って、大半の野菜や果物はパックではなくて、バラ売りだから袋の利用ができます。

すでに洗浄済みのサラダ用のミックスレタスやホーレンソウなどが、プラスチックの容器に入ってずらりと並んでいます。とても便利なんですが、なるべく買わないことにしました。

台所の野菜の皮などのゴミ袋は、堆肥作りも可能という袋を使っています。

車にいつも置いてあるペットボトルもやめて、アルミニューム(だと思います)の容器にしました。

今年からカリフォルニア州のレストランではお客さんがリクエストしない限りストローを出してはいけない(付けないこと)という法律が制定されました。プラスチックが環境破壊に繋がっているので、少しでもプラスチックの使用量を減らそうというものです。この法律はカリフォルニア州が初めてです。今のところレストランだけでカフェとかファーストフッドの店は含まれていません。

でも環境保護の意識が高いカフェでは、紙製や竹製のストローが使われています。

紙のストローは時間が経つと凹んでしまって使いにくいし、味にも影響するのが難です。他のストローは一見するとプラスチックみたいなんですが、植物から(例えば竹)作られたものは味に影響がないと、私は感じてます。

レストランでストローが必要かと聞かれたら、必要ないと答えています。(以前は、コップに注がれたお水が出てくると衛生上という理由でストローを頼んでる友人がいて、真似してみたものです)

環境問題について意識の高いカフェではアイスドリンク用のカップも植物から作られたものを使っています。

他のゴミと一緒に捨てられたプラスチックは腐敗(分解)するまでに1000年、ペットボトルは450年以上かかるそうです。

2017年の調査によると、過去13年間にプラツチック製品の生産量が激増、そしてリサイクルされたのは総生産量のたったの9%だそうです。

ちなみに私の故郷、江別市は高熱で燃やすことができるボイラーを導入して、プラスチックは燃えるゴミとして集められて燃やされているそうです。でも炭酸ガスの排出量はどうなんでしょうかねと、一言多い私です。

これから、いかにして無駄を少なくするかを学ぼうと思っています。例えば野菜ならば、先っぽについているセロリとかの葉も捨てずに利用するとか、使う量だけ買うとか、便利だなと思って買ったキッチン道具なども、意外と利用価値が低くて捨ててしまうといった習性をやめて、本当に必要なものしか購入しないとか、物質主義から抜け出る努力をしようと思ってます。

一人一人ができることは、こういった小さなことですが、世界中の人がこの運動に参加したら、ゴミの量が減って、ゴミ埋立地に送り込むゴミの量が減ることと思います。

地球温暖化がかなりの速度で進んでいます。カリフォルニアもオーストラリアも高気温で、空気が乾燥していて、そこへ強風が吹き付けるものだから、大規模な山火事が起こっています。日本も今までになくらいに強度な台風の大きな被害を受けました。アメリカ東部や南部の海岸沿いの州はハリケーンの大きな被害を受けています。

炭酸ガスの排出量が大量に吐き出されるために地球の温暖化が原因です。

最近、科学者達が炭酸ガスの排出量を減らさなければ大変なことになるという警告しています。

一人一人が温暖化防止に何ができるのか、難しいところです。

とりあえず廃物ゼロのライフスタイル、実行します。

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1170 ヒット

燃え尽き症候群ーケミカリー・アンバランス

20年ほど前に「自分史」を書くのが流行って(?)いて、私も書いてみました。

その中の一部に、更年期にうつ病のなってしまったことが書かれているのを見つけました。少し長いけどブログに載せることにしました。

私が受けた治療法は多少古いかもしれません。現在はもっと進化した抗うつ剤が出てきています。

ケミカルアンバランスの原因は今もまだ解明されていません。一般的に環境、社会事情、ストレス、トラウマン度が原因だと信じられています。

今は、心のケアークリニックが日本にもあちこちに存在しているようですね。心が晴れない日々が続いてるなあと感じたら、軽い気持ちで相談に行ってみるのもいいかもしれません。

燃え尽き症候群ーケミカリー・アンバランス

夜中に何度も目が覚めてしまう。まるでコーヒーを飲みすぎてカフェインががんがんと利いているような状態なのだ。感情の起伏が激しくすぐにかっとなる。悪いところばかりに目がいって、いつも家族に小言ばかり言い続ける。原稿は締めきりぎりぎりまで書く気がしない。やっと書き終っても「やったー!」という喜びがなくなってしまった。寝不足だから当然だと思っていたが、朝はベッドから出るのが嫌でたまらない。人に会うのも億劫でしかたがない。特に日本から来た仕事関係の方に会うのに恐怖心を感じてしまう。レイが「年を取っていくことを哀しんでいるの?」などと聞くと、なんとお門違いなと、ますます腹がたつ。レイは私の状態をみて、ひそかに、ミッド・ライフ・クライシスではないかと思っていたのだろう。アメリカ人が中年を迎えると、突然に自分の老いの始まりに気付いて、これでいいのだろうかと不安に陥ってしまう症状だそうである。

私は自分が老いていくのは自然な現象だと思っていたから、ミッド・ライフ・クライシスだとは思わなかったが、あまりがむしゃらに、勉強、育児、仕事に頑張りすぎたせいで、ーちらっと日本で聞いた「燃え尽き症候群」という言葉を思い出してー、これだと思っていた。少しのんびりしていたら直るだろうと自分に言い聞かせていたが、それにしても憂鬱である。楽しいと思えることがほとんどない。

私の誕生日を祝って、レイが私と娘をパリに連れて行ってくれた。というと裕福な家庭のハズバンドが「パリ行」という豪華版誕生プレゼントを、という感じなのだが、残念ながら現実はそんなに甘くなくて、レイは仕事でドイツに行かなければならなかったので、2日間だけパリに滞在するというもので、宿泊も私の知人のアパートに泊めていただくという節約旅行である。それでもパリはパリだ。私が過ごしたいようにパリでの1日のプランを作るようにと言ってくれた。本当にありがたいことである。とても感謝しているのに、晴れやかな幸せな気持ちが沸いてこない。札幌時代にあれほど張り切って行ったパリ。それなのにどこへ行って何をしたいのか自分で決めることもできない。レイが行こうと言ってくれた場所へついて歩くのが精一杯で、すぐに疲れてしまう。それでも私なりに楽しかった。楽しかった度合は、赤ワインに例えると、深みとボディがあって味わいがたっぷりのカベルネ・ソヴィニヨンというよりは、寒かった年のやや軽めのカベルネ・ソーヴィニョンの味くらいだったけれど、親子3人で過ごした幸せなパリだった。でも家族には私が楽しんでいるようにはみえなかったそうである。

相変わらず気持ちの晴れない日々が続いて、1995年も終りに近づいていた。その年の感謝祭はランスとサンディの家で祝った。11歳になった奈世美が私に代わってアップルパイを焼いて誇らしげに持参して、喝采をあびているのをみて、大きくなったんだなあとしみじみ思ったものだ。親しい友たちとの家庭的で穏やかな会食だった。

感謝祭が終ると街はクリスマス一色に変わる。アメリカのクリスマスは日本のお正月のようで、遠くにいる家族が帰郷してプレゼントを交換してディナーを一緒に楽しむファミリー・デイである。もちろん敬虔なクリスチャンは教会へでかける。いろんなパーティが開かれて、例えば友達同士でささやかなでも愛情のこもったプレゼントを交換したりするのは、ホリデーシーズンと呼ばれる感謝祭の後からクリスマス、お正月までの間である。 この時期になると多少は感じていた疎外感が、その年はことのほかに強く感じられた。日が暮れるのが早くなって朝夕の寒さが増してくるのが、一層、心と体に堪えた。クリスマスは奈世美を中心にして、私なりに楽しい家族団らんを楽しむのだが、私の両親はこの場面には登場しない。それに私と女友達だけで楽しむパーティというのはなくて、子供がまだ小さいから、子供同士のプレゼント交換に母親同士が立ち合って、サンドイッチを一緒に食べるというのがせいぜいだった。それはそれで楽しいものだったが、母親としての楽しみで一人の大人としての楽しみは満たされない。

感謝祭の翌日から憂鬱状態がどんどんと強くなってしまった。理由もなく涙が出て止まらない。それまでにも涙が出やすくなったなとは感じていたけれど、年のせいで涙もろくなったのだと思っていた。しかし今度はそんなものじゃない。そのときにふと思い出したのが、ケミカリー・アンバランスという言葉だった。ある日の午後、学校の帰りに娘を眼科に連れて行って待合室で読んだ婦人雑誌に「あなたは大丈夫?10の質問の中で五つ以上のイエスがあったら、あなたはケミカリー・アンバランスという症状に悩まされています。これを治す薬がありますから、ドクターに相談しましょう」とあった。暇つぶしに質問に答えていったら、イエスが六つほどになった。脳内部の科学物質のバランスがくずれて起こる症状である。要するにうつ病の一種のようだ。今まで私は燃え尽き症候群と思っていたが、違うのかもしれない。翌日、私たちが入っている保険、カイザーの精神科に電話をかけた。

「私は憂鬱な状態がずうっと続いているので、ケミカリー・アンバランスだと思います。それで薬がほしいのですが。」

「よくわかりました。どのくらい前から、憂鬱な状態が続いていますか?」

「もう一年にはなると思います。」

「ああ、そうですか。薬を差し上げるのには、ドクターにお会いしていただかなければなりませんが、予約日まで二週間ほどかかってしまうので、早道のためにまずカウンセラーにお会いになってはいかがでしょうか?カウンセラーが薬が必要とドクターに伝えると、ずうっと速くに薬が手にはいりますから。」

「じゃあ、カウンセラーの予約をとってください。」

「カウンセラーは男性がいいですか。それとも女性にしましょうか。」

「同じ位の年の女性のカウンセラーがいいと思うのですが。」

「そうですね。じゃあ、スーザンがぴったりだと思いますので、そのカウンセラーの予約を取っておきますね。ハブ・ア・ナイス.ビジット!」

四〇代後半くらいの女性らしいふっくらとした落ち着いた声で受け答えをしてくれた。もしキンキン声で高飛車な電話応対をされたら、私はきっと話の途中でぱっと電話を切ってしまい、二度と電話をかけようとはしなかったと思う。

精神科へ行くのもカウンセラーを受けるのも生まれて初めてだった。しかしさすがは訓練を受けたカウンセラーである。想像していたのとは違って、押し付けがましくなく、説教調でもなく、わざとらしい同情をするわけでもなく、さりげない会話の中で自分の精神状態、その原因を自分なりに分析するように導いてくれるのだった。アメリカ人がカウンセラーに通うわけがよくわかった。スーザンが着ていた薄いピンクのセーターが今でも目に浮かぶ。

「オー・マイ・ディア!そんなに涙がでるのは、睡眠不足のせいですよ。早速、ドクターにお願いして眠るための薬を出してもらいましょうね。それにしても一人で決心してよく来ましたね。そのままにしておいたら、あなたはベッドから起きられなくなっていましたよ」と褒めてくださった。会話の中に「ハズバンドはあなたがここに来ていることを知っていますか?彼は『そんな薬を飲むなんて!』と他人の目を気にしたりしませんか?」という質問をさりげなく加えながら、私と夫との関係をチェックしている。私と夫との関係悪化がこの症状の原因でないことをクリアした。それからパトリシアという女性の精神科医のオフィスに案内されて、「あなたの家族に鬱病の方はいませんね」という質問などの後に一時的に使用するための安定剤入りの睡眠薬と、私の症状は軽いケミカリー・アンバランスだからと「ゾロフト」という薬の処方せんを書いてくれた。「先生の緩やかにカールしたブロンドの髪とベージュのルーズなパンタロンスーツの色がよくマッチしているな」などと考えていたら、大柄で情熱的な感じさえするドクターは「日本の女性の社会的地位は向上しましたか?」なんて聞くのでちょっと戸惑ってしまった。脳の中にある科学物質にセラトーンというのがあるそうで、この物質が細胞から細胞へ移動して戻ろうとするときに細胞が閉じてしまい、セラトーンが片寄って存在することになる。「ゾロフト」はこのバランスの崩れるを、もとに戻す作用をする薬だと説明してくれた。バランスを取り戻すには、この薬を最低6カ月は続けなければならないと言われた。薬の服用とカウンセリングを併用したほうが効果があるという。

カウンセリングは2回ほどで終ったが、自分ながらショックだったのは、札幌の親友の話をしたときに涙が溢れて止まらなくなってしまったことだ。スーザン先生がティッシュを手渡してくれたほどだった。カフマン恵美子ではなく、西井恵美子を知っている友人が恋しくてならなかった。若い時代を共有した親友たちとは、二〇年たった今でも帰ると何回でも会えるだけ会って、いくら話しても話がつきない。アメリカ人の友人とはそういう付き合いにならないのは、一緒に大人になっていった時期を共有していないから当り前なのだということを、カウンセラーとの話のなかで納得することができた。それでも恋しさは消えない。そこでカウンセラーは「話したいときに電話をしてみたらいいんじゃないかしら」とサジェスチョンをしてくれた。さらに「年をとったら1カ月でも半年でも日本で過ごせるようにプランを練って、そのプランの達成に向けて努力をすればいい」というアイデアに誘導してくれた。特に長期滞在のプランのアイデアが出たときには、まわりがぱっと明るくなった。レイはそんな私のプランに「それも悪くないね」とあっさりと同意してくれた。今でもこのプランは私の希望の光として輝いている。電話のほうは納得がいくだけ話をしようとすると、電話代がかなり高くなるし、今ひとつ気持ちが満たされなかった。でも母親とだけは電話代など気にせず、1カ月に数回ほど電話で話している。

ゾロフトはこの種類の薬の中では一番マイルドだということだったけれども、私にはかなりの強さで作用した。とにかく眠くて眠くてどうしようもない。仕事どころではないのだ。飲む時間を変えてみたが、それでも朝の一一時ころまでうつらうつらしている。そんな私を見て、レイは「まるでドラッグにやられてるみたいだな」と驚いていた。しかしよく笑うようにはなった。「もとのエミに戻った。こんな女性と結婚したのかとちょっとがっくりしてたけど。ナヨミが一番嬉しそうだヨ」とその効果を喜んでくれた。

「ああ、原稿が書けないんだよね。締切が迫っているのに。うふふ」

「朗らかになったのはいいけど、なんでもどうでもいいって感じだナ。クスリが利き過ぎてるんじゃないの?あと、どのくらい飲まなきゃならないの?」

「うふ、そうかな。さあ、あと、どのくらいかしらねー」

そうこうしているうちにウォンズの原稿を書く仕事も失ってしまったが、もう、そろそろ辞めてもいい時期ではあると思っていたので、心は痛んだけれども、ほっとしないわけでもなかった。

朦朧、ほんわかの六カ月が過ぎて、もとの私に戻ることができた。感謝祭がやってくる一一月になると、やっぱり多少は落ち込んでしまうけれど、今は、どんな症状が出たら気を付けなければならないかがわかるので、こまめにその対策に当たる。眠れない夜が二、三日続くと、しっかりとエクササイズをする、積極的にお友達を誘ってコーヒーを飲みにいっておしゃべりをする。レイと映画を見に行く。美しい山々を眺めながら愛犬のサミーと一方的なおしゃべり?をしながら散歩をする。わけもなく哀しい感情が溢れてきたら、否定したり押さえ込んだりしないでその感情を受け止める。

アメリカではケミカリー・アンバランスの症状に悩んでいる女性がとても多いという。なぜ男性よりも女性のほうが多いのかは、まだわかっていないそうだ。私はゾロフトを半年だけ飲んで治る軽い症状だったが、プロザックという、同じタイプの薬を長い間飲み続けている人達もかなりいると聞く。湾岸戦争で抜群の優秀さをアメリカ中に知らしめた軍人パウエル氏が、退職後に共和党の副大統領候補にと依頼されたけれども断わって話題になったことがある。同氏の奥様も長年、プロザックを服用されているということだった。アメリカではケミカリー・アンバランス、うつ病を精神病として隠す傾向が少なくなっている。脳の科学物質のバランスがくずれて起きる現象なのだから、薬を飲んでバランスをもとに戻せば治癒する病気なのだ。もし、日本でうつ病に悩んでいられる方がいたら、躊躇することなく病院へ行かれることをお勧めしたい。

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1222 ヒット

ソノマ市民はリベラル

6月中旬から7月初旬にかけて日本へ行ってきました。

東京と大阪で仕事をして、その後、札幌で1週間ほど過ごしました。とっても楽しかったです。

日本はいい国だと、しみじみと感じます。なんといっても平穏ですね。

でも一つだけ心に引っかかる出来事がありました。

京都駅でのことです。朝の通勤ラッシュで混み合っていました。構内の通路に男性が倒れてました。服装も清潔そうだし、髪もきちんとしているので、ホームレスじゃないことはすぐにわかりました。少し顔色が悪く、目をつぶってました。信じられないことに、だあっと歩いている人たちは、徹底的に無視して通り過ぎていきます。通勤時間に遅れるのはいやだし、変なことには巻き込まれたくないということなのでしょうか。

一瞬、電話と思ったのですが、私の電話は国際電話なので通じないことに気がついて、人ごみをかき分けてお店の人に知らせようと思いました。でも夫が「日本ではこういうのが普通だよね。前にも見たことがある」とつぶやいて、彼も無視する人たちの一軍になって歩き続ける様子なのです。それにつられて私も通り過ぎてしまいました。時間がなかったわけでもないに、止まらず過ぎてしまったことを、今も後悔しています。

昔、札幌のすすきので同じような場面がありました。人ごみの中で、通路に倒れている人を面白がって踏みつけて通り過ぎた若者もいました。私は近くの交番に知らせに走りました。と同時に近くのお店の男性がさあっと出てきてくれたのを記憶しています。

倒れている男性が、もし自分の身内で、だれも助けてくれなかったら、どう思うのでしょうか。

私は止まらずに通り過ぎてしまったけれど、誰か、立ち止まって電話してくれたと信じています。

で、ソノマの話です。

ここ10年ほど、ソノマ市はワインカントリーのメッカのとなって、年中ツーリストが絶えません。ホテルを建てる、新しいレストランを開く等々、投資家にとって魅力がある土地になっています。

そんな投資家のカップルが、過去3年間にソノマ・ヴァレーにある26の物件を買いあさっています。総額10,788,950,000円

例えば彼らが買い取った物件の一つに、ソノマに入る道路116号線にCornerstone というところがあります。広大な土地にテイスティングルームやアンティ-クのお店やら、カフェレストラン、そして有名な雑誌、サンセットマガジンのテストキッチン、素晴らしく手入れの行き届いた庭園(見たこともない花びらの豪華な藤棚が見事)があります。

ある日、ソノマの市民はカップルの妻がゲイ反対意見をソーシャル・メディアにバンバン書きまくっていることを地元の新聞の記事で知りました。

オバマケアと呼ばれる健康保険システム(貧しくても健康保険に加盟できるというアメリカ史始まって以来の保険制度です)や同性結婚に反対の意見を書きまくり、さらにビジネスパートナーはカリフォルニア州で規定している、「教科書にゲイの権利の保障を記載すること、ゲイであることに(性的指向)対する差別を学校では禁止する」という規定を廃止するように州に働きかけていることも暴露されたのです。

同カップルは料理学校と隣接しているイベント用のレストラン(歴史的由緒のある建物)も買収しています。ここのイグゼキュティヴ・シェフは同カップルの意見に反対するとしてレインボー・フラッグ(虹色の旗)を掲げました。レインボー・フラッグはゲイ・プライド・フラッグとかLGBTQフラッグとしても知られていますが、平和のシンボルとしても使われています。サンフランシスコで作られたものですが、今は世界的に使われています。

   

ジェネラルマネージャーも「彼らの意見には100%反対だ」と、所有者に伝えたと発表。雇用者の意見に堂々と反対するところが、リベラルな町、ソノマを明確に表しています。

ソノマの市長は「この町にはこのような分裂は必要ない。全市民が一つのコミュニティに属している。一緒に良い街づくりをしている。彼達のソーシャル・メディアに載せている意見は我々の価値観とは違う。」とコメント。

ここに述べた二つの物件の売却者は「ビジネス関係、人物については、全て調べたが、彼らの政治的背景や宗教についてはチェックしなかった。過去20年間、私の会社は多様性と平等をモットーとするリーダーとして、同性結婚の従業員も平等に社会保険に加入させている」と戸惑った様子。

地元の人権擁護団体のメンバーから、同カップルが所有するレストラン等をボイコットするという声も出たけれど、ボイコットによって、そこで働く人達にも影響することを考えて、ソノマ・ヴァレーの住民のためにというのでポスターを作りました。

内容は:

私達は歓迎します。

全ての人種、

全ての宗教、

全ての国、

全ての性的指向、

全てのジェンダー(社会的文化的観点から見た性別、性差)

全ての能力。

私たちは一緒に立ち向かいます。      あなたはここでは安全です。

このポスターが商店やカフェなどに貼られています。

私にはゲイの友人がいます。彼はゲイになりたくてなったのではありません。ゲイとして生まれてきたのです。自分が他の子と違う、ということを中学生くらいに気がついて悩みました。そしてゲイであると認めて暮らし始めたのは、30歳だったそうです。それまでは無理して女性とデートしたけれど、なんとも不自然な気持ちだったと話してました。今は、明るく恋人とソノマで暮らしています。

各人が異なる意見を持つことは当然です。同性結婚に反対する人、賛成する人。それを公然と主張しても問題にならない州(特に中西部など)もあるかと思います。でもカリフォルニアは全ての人の人権を認めることという価値観が、大多数はを占めています。

ソノマに住んで良かった。

リベラルなソノマ市民に乾杯!

アメリカは実に複雑な国です。人種、宗教、文化の違いに焦点を当てるのではなく、共通点を見出して仲良く暮らすというのが基本です。

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