ソノマの暮らしブログ

カリフォルニア州ソノマに住んで25年。第二の故郷と決めた美しいワインカントリーで、ワインを追いかけて暮らしています。

待ち合わせは三越のライオンの前で

11月初旬に4年ぶりに札幌に帰りました。コロナのせいでずっと帰れませんでした。 札幌に滞在中、本州は夏のように暑くてニュースによると ラーメン祭りなのに かき氷がよく売れたと言ってました。 札幌の11月は初雪が降る時期です。さぞかし寒いだろうとセーターをスーツケースに詰めて覚悟して帰ったのですが、ラッキーにもそれほど寒くなくてありがたかったです。 私が帰った後に雪が降ったみたいです。

親友N子さん
札幌を離れて35年余り、帰ると必ず会ってくれる親友のN子さん。滞在中は私のスケジュールに合わせて、会えるだけ何度も時間を作って会ってくれたものです。小柄で優しい可憐な声で上品に話すN子さん。 とっても知的でそれはそれはいろんな話を飽きることなく話しました。辛いことも楽しいことも話し合ってお互いに支えあってきた親友です。

mitsukoshi Lion

札幌での待ち合わせは、いつも、三越のライオンの前でした。
その彼女が背骨を骨折して2カ月入院しました。 退院して2週間後の初めての外出で、 私に会いに来てくれたのです。
会う約束の電話では、
「あー、恵美子さん、お帰りなさい!」いつもの彼女の声でした。
「入院、大変だったね。もし外出できるのなら、土曜日に会いたいと思ってるんだけど、空いてる?」
「はい、土曜日は空いてます」
「何時がいい?」彼女のスケジュールに合わせようと思って言いました。
「何時でもいいけど、11時半はどう?」
「了解」
「私がN子さんの地下鉄駅の琴似まで行くから、地下鉄近辺でランチかお茶をするのはどう?」先日の電話でご主人から、退院後、まだ外出してないと聞いていたからです。
「大丈夫。三越のライオンの前まで行けるから」自信たっぷりでした。
「じゃあ、いつものように三越のライオンの前で、明日、会おうね」
「はい、土曜日の11時半に」三回ほど念を押すように繰り返しました。
もしかして土曜日が明日だということを認識してないかもしれないとふと思いました。

翌日、三越のライオンの前に、少し遅れて着きました。彼女はいません。彼女のご主人から電話が入りました。
「今朝、彼女のスケジュール表を見たら11時半に会うと書いてあったので、だれに会うの?と聞いたら、誰と会うんだったか覚えてないというので、もしかしたら恵美子さんじゃないのと言ったら、そうかもしれないっていうんだよね。それから大急ぎで出かける支度をして、今、家を出ました。タクシーで行くように勧めたんだけど、地下鉄で行くと言い張って地下鉄で行きました。うまく着くかどうか心配なので着いたら連絡ください」
N子さんは1時間半ほど遅れてやってきました。細い彼女がもっと細くなってました。
「ごめんね、遅れてしまって」といつもの笑顔です。
ふらりふらりと頼りなげに歩くので、私が手を添えて一緒に歩いたのですが、この歩き方でどのようにして地下鉄の階段を上ったり下りたり、そして人ごみの中を歩いてきたのか信じられません。
いつものように三越のカフェの窓際の席で交差点を行きかう人々を眺めながら二人でコーヒーを飲みました。ああ、札幌に帰ってきた!親友に会えたという嬉しさがこみ上げてきました。
「歩くのが大変だからランチはどこか近いところにしようよ」
「大丈夫よ、歩けるから」歩行が不自由なことを認識してないようです。
すぐ近くのレストランでランチを食べながら、いつものように いろいろ話をしました。話がずれることなく知的な会話をちゃんと続けてくれます。でもどこか 昔の彼女とは違います。私が話し掛けないと、じっと下を向いたままです。
「話してると普通なんだけど、その後、すぐに忘れてしまうんだよね」とご主人が電話で言ってたのを思い出しました。今日、二人で過ごしたひと時を彼女は 覚えていてくれるのかなと悲しくなりました 。
N子さんと私は20代から同じ職場で働いていました。部署が違うのであまり話をすることがありませんでした。当時のオフィスレディの典型的なパターンで、N子さんは間もなく職場の男性と結婚しました。
一方、私は典型的パターンからかなり外れていて、組合活動やら政治活動に明け暮れていました。国家公務員なので政治的なデモ(組合のデモはオーケー)などには参加すべきではないのに、大勢の仲間たちが繰り広げる大きなデモに参加したりしてました。上役にそれとなく注意されたこともあります。

そんなある日、会合の後、アパートに帰る途中でタクシーにはねられて頭に怪我をしてしまいました。脳波に異常が出るほどの怪我で、1カ月ほど入院。職場に復帰したものの、後遺症で頭痛に悩まされ、脳波に異常が出て倒れてしまうから、激しい運動はしないように、走るのもダメと言われてました。
朝の通勤にバスに乗っていたのですが、バスが遅れて勤務時間に遅刻しそうになりました。一緒に政治活動をしていた職場の仲間たちは私を置いて、さあっと走っていきました。私一人残されたのです。遅れる覚悟でゆっくり歩いていたら、N子さんが横に来て一緒に歩いてくれたのです。
「勤務時間に遅れるから先に行って」
「少しくらい遅れたって大したことないでしょう」とN子さん。
弱い人に寄り添ってくれる女性がいたのです。政治活動をしていた仲間と同じように、私のスピードについてこれない人には関心を持っていなかった自分に気が付きました。この時から友人としての付き合いが始まりました。

私が渡米してからも、彼女との交友は続きました。
一歳半の娘を連れて札幌へ帰った時に、N子さんの次女のノンちゃん(5歳)が一緒に遊んでくれました。その時にノンちゃんは英語が話せたら、もっと娘と楽しく遊べるから英語を勉強したいと思ったそうです。そしてノンちゃんはボストンの大学に留学しました。娘が高校生の時に休暇でボストンから帰ってきていたノンちゃんと娘は英語でおしゃべりしてました。
N子さんは50代の時に、勤務中に、突然、頭が真っ白になるという症状が頻繁に起きるようになって、早めに退職しました。医師の診断ではどこも悪いところがないということでした。でも、今、認知症になってしまったことと関係してるかもしれません。
ホテルへ帰って一人になった時に涙があふれてきました。もう生き生きとした優しい笑顔のN子さんと昔のように話をすることができなくなってしまったのです。彼女と私の素晴らしい親友関係の一節が終わりました。

翌日、美味しいものを食べて、沈んだ気持ちを癒そうと、大丸の8階にある日本料理店に行きました。父が亡くなった時に、レイと一緒にこのレストランで懐石料理を食べたお店でした。美しくて美味しい料理に、心が和らぎました。気持ちを切り替えて、ショッピングに向かいました。

MItsukosi kaiseki
ソノマへ帰って3週間が過ぎました。N子さんのご主人に、彼女のその後の様子を聞きたいと思って、日本時間の朝の9時半に電話しました。以前のN子さんは朝が弱いので起きていないと思ったのですが、彼女が電話に出ました。私だと告げると「恵美子さん、今、どこにいるの?」と元気な様子の声でした。
「11月初旬に札幌へ行ったときに、N 子さんと会ったんだけど覚えてる?」
「あ、、、覚えてない」
「三越のカフェでコーヒーを飲んで、その後、ランチをしたんだけど覚えてる?」
「あ、、、覚えてない」
「陶器の展示会があったので、一緒に見たんだけど」
「それは覚えてる。でも流れがわからないのよね。もう年だから仕方がないと思ってるの」
「いつか私のことを覚えてないときがくるのかしらね」
「それはお互い様でしょう」
「そうだね。二人で『あんた誰?』って言い合うときが来るのだろうね」二人で笑いました。
人生っていうのはいろんなことを体験するものなんだということを痛感しました。

N子さんと私の親友関係は次の一節へと移りました。彼女が私のことを覚えていて、私の声を聞くと嬉しそうにお話ができる間は、電話、そして札幌へ帰った時に会い続けようと思います。
N子さん、今まで素晴らしい親友でいてくれてありがとう!

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アメリカでは人工妊娠中絶がなぜ政治問題になるの?

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過去 50 年にわたって、人工妊娠中絶がアメリカ政治の中心舞台に頻繁に取り上げられてきました。2023 年も同様です。7月12日 に共和党が多数を占めるアイオワ州議会は特別議会で、妊娠約6週間後、ほとんどの女性が妊娠に気づく前に、胎児の心臓活動が検出され次第、中絶を禁止する法案を可決しました。この法律を破ると医師も本人も逮捕されます。

多少の違いはあっても人工妊娠中絶禁止法を可決した州は、ざっとあげても、アラバマ州、アーカンソー州、アイダホ州、ケンタッキー州、ルイジアナ州、ミシシッピー州、ミズリー州、オクラホマ州、南ダコタ州、テネシー州、テキサス州があげられます。これからもさらに人工妊娠中絶禁止法を可決する州が出てくることでしょう。

そして人工妊娠中絶支持派は裁判に訴えます。なぜアメリカでは母体保護が医療機関ではなくて共和党支持派が多い州議会と裁判で決定されるのでしょうか?

最も近い姉妹国であるイギリスやカナダを含む他のほとんどの裕福な国では、中絶は医療問題としてとらえていて、政治の片隅にあっても、中心になることはありません。日本も同じだと思います。

カトリック系の学校での教育を受けた友人は、「宗教が一番の理由」と言います。 でもカナダはカトリック教徒や福音派プロテスタントも多いし、カナダとイギリスにも人工妊娠中絶反対運動が存在します。宗教や世論を超えて、国家機関が重要な役割を果たしていて、人工妊娠中絶は政治ではなくて医療機関が采配を取るという共通の認識があります。

カトリックの説教は「人間は受精した瞬間から人間である、つまり受精卵も人間である」というものです。しかも「生まれていない人間は罪のない人間なのだから 中絶を行なうことは殺人であり、十戒の中の一つ、人間を『殺してはならない』という教えを犯すことになる」とされています。

アメリカではPro Life(プロライフ)、 Pro Choice(プロチョイス)と大きく二つに分けて議論する人が多いです。

人工妊娠中絶擁護派は「プロ・チョイス(選択できることが大事)」、人工妊娠中絶反対派は「プロ・ライフ(胎児の命こそが大事)」と呼ばれ、激しく対立しています。(「プロ」とは、賛成の意味)

Pro Choice(プロチョイス)を自認する人々は、誰もが子供をいつ産むか、産むかどうかを決定する基本的人権を持っていると信じています。 選択に賛成だと言うとき、自分自身は人工妊娠中絶を選ばなかったとしても、予期せぬ妊娠の選択肢として人工妊娠中絶を選択しても問題ないと思っています。

Pro Life(プロライフ)を主張する人たちは、人口妊娠中絶に反対です。プロライフって、人の命(人間)を大切にするっていうことだと思うのですが、実際は、受精卵、胚、または胎児の命を大切にと主張しているだけで、望まない妊娠で生まれた子供の福祉や、出産した女性の人生には、とても冷たいです。 「プロライフ」を自称する多くの人々は死刑を支持し、児童福祉法に反対しています。

アメリカで人工妊娠中絶がこれほどまでに政治的に爆発的になったのは、連邦最高裁判所、強力な民間医療専門家、弱い政党、そして論争が存続して問題が何度も提起される分散型政治(地方分権?)システムが大きな理由とされています。

1973年に連邦最高裁が人工妊娠中絶を「憲法で認められた女性の権利」だとする判断を示したことから、人工妊娠中絶は医療問題ではなくて、憲法問題、政治問題となったのでした。

連邦最高裁が人工妊娠中絶を合憲とした根拠は、プライバシー権を憲法上の権利として認めた合衆国憲法の修正第14条です。

憲法では、人工妊娠中絶について明文化されていないものの、連邦最高裁は女性が中絶するかどうかを決めるのは、個人的な問題を自分の意思で決定するというプライバシー権に含まれると判断しました。

これが判例となり、以後およそ50年にわたって、中絶は憲法で認められた女性の権利だとされてきました。

それが、なぜ20022年から共和党が主権を握る州が、次から次へとそれは厳しい人工妊娠中絶法を可決しするようになったのでしょうか。

アメリカの連邦最高裁の判断は、終身任命された9人の判事の多数決で決まります。連邦最高裁が政治にかかわる案件を判断して、国の政策に大きな影響を与えるという、なんか信じられない機関です。中立派なんていうことはなくなっています。連邦最高裁の保守派とリベラル派の判事の構成比で判決が出されるのです。現在の顔ぶれは、保守派6人、リベラル派3人となっていて、人口妊娠中絶に関しては、保守派が反対、リベラル派が擁護の立場で判決が出されました。

2022年6月24日に、保守派が多数となった連邦最高裁判所が「人工妊娠中絶は憲法で認められた女性の権利だ」とする49年前の判断を覆したのです。「憲法は人工妊娠中絶をする権利を与えていない。49年前の判断は覆される。人工妊娠中絶を規制する権限は市民の手に取り戻されることになる」という判決をしまた。

これは、人工妊娠中絶を規制するかどうかは、憲法上の問題ではなく、それぞれの州の判断に委ねられるということを意味しています。

その判決に従って、現在、共和党が主権を握る州で次々に人工妊娠中絶反対の政策を可決しているというのが現在の状況です。

共和党が主導権を握る州の中年の白人議員(ほとんどが男性)たちが、「どんな状況でも人工妊娠中絶をするのは禁止」という規則を可決していくのです。

英国とカナダでは、準国家レベルの政府はアメリカほど重要ではなく、人工妊娠中絶に関する議論は主に国会に限定されています。一方、アメリカでは、連邦裁判所が人工妊娠中絶法の広範な条件を設定しますが、詳細を決めるのは連邦議会か州議会です。

日本の行政システムは、長い間、霞ヶ関を中心に国が政策を決めて、地方自治体がそれに従い仕事を行う「中央集権型」の体制でした。

英国とカナダでは、党指導者が候補者を選んで選挙運動に資金を提供し、選挙綱領を作成し、ほとんどの法案を発議し、一般議員に投票方法を指示します。 対照的に、アメリカでは州レベルの政党がさまざまな問題を強調(人工妊娠中絶もその一つ)して、個々の候補者や国会議員は、資金提供や団体からの圧力に応じて賛否を決めています。

アメリカの世論は、性的暴行や近親相かん、胎児異常の場合、あるいは女性の健康を守るために人工妊娠中絶をする権利を支持しています。家族の規模、貧困、婚姻状況が問題となる場合には、あまり支持的ではありません。

世論を無視してまでも人工妊娠中絶禁止法を成立させるのはどうしてなのでしょうか。民主主義の国は国民の意思、世論が反映されるべきなのに、世論から離れた人工妊娠中絶法が成立しています。

私見ですが、権力を握りたいキリスト教団体が政治家に圧力をかけます。選挙で勝ちたい議員たちは投票数と資金獲得を目標に、恥もなく非情な法律を受け入れているのが大きな理由じゃないかと思います。

「生まれていない人間は罪のない人間なのだから 中絶を行なうことは殺人であり、十戒の中の一つ、人間を『殺してはならない』という教えを犯すことになる」という教えを誠実に守ろうとしている人たちもいるでしょう。人工妊娠中絶反対の若者たちのインタビューをテレビで見て思ったのですが、この概念はとても分かりやすいです。でももう一歩考えを進めて、人工妊娠中絶をあきらめて、苦しい生活の中で子供を育てていく人たち(特に十代の若い人たち)、性的暴力や近親そうかんが原因で生まれた子供を育てていく母親の気持ちなどを考えてくれたらいいのになあと思います。あくまでも人工妊娠中絶に反対なら、生まれた子供たちに救済の手を差し出す団体などを作ってくれたらいいのにと思います。

人工妊娠中絶禁止の州では様々な悲しい事件が起きています。母体保護のため人工妊娠中絶が必要だと医師が判断したケースも少なくないでしょう。先日、妊娠を維持したら母体危険だから人工妊娠中絶を許可してほしいと裁判に訴えて、人工妊娠中絶が認められたのに、検事はその判決に反対して控訴したというニュースが報道されていました。

金銭的な余裕がある人たちは人工妊娠中絶が合法な州へ行って手術を受けることができますが、貧困層の人たちはできません。貧富の差が人工妊娠中絶問題にも反映しています。

母体保護に基づくはずの人工妊娠中絶が、アメリカではなぜ政治問題になるのか、その理由を知りたいと思って調べました。日本では人工妊娠中絶は母体保護としてとらえられているので、大きな問題になったことはないと思うので、あまり関心がないかもしれませんね。

「アメリカはどうしてこんなに極端な政策を打ち出す国になってしまったのだろうか。アメリカよどこへ行く」と一人でつぶやいてます。

※プレスデモクラットの写真を使わせていただきました

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病院のTransparency (透明性)

日本とアメリカでは保険のシステムが違います。日本では国が管理する健康保険にほぼ全国民が加入しているので、どの保険会社の健康保険を買おうか(加入しようか)、保険会社で受け入れてくれるだろうか、私で買える保険だろうかなんて、迷う(悩む)必要がないですよね。信じられないことに健康保険も資本主義が徹底した国、アメリカではビジネスなのです。根本的にいかに儲けようかという経営方針が最優先です。人の命もビジネスの対象なのです。
私はアメリカでは カイザー パーマネント( Kaiser Permanente) という 健康保険 プラン というかグループに入っています。1945年に設立されています。他の保険と 違うところは 、カイザー・パーマネントという病院がアメリカの8州と ワシントン DCにあって、 その病院だけに行けるということです。 どうしても他の病院に行くしかないという時には医師の推薦状が 必要かと思います。他にいろんな保険があって、どこの病院でも行けるという保険もあります。その点、不便と言えば不便ですが、 今のところ 私はカイザーで 間に合ってます。

Kaiser santa rosa RSZ
カイザーの良いところの一つに、例えばガンに罹ってしまったとします。カイザーは毎月支払っている保険料で最後まで治療をしてくれます。でも保険会社によっては、これ以上の治療費は支払いません、自己負担(日本の自己負担より総額ではゼロが一つ多い)になり、保険金による治療はストップされてしまうということもあるようです。お金持ちは自己負担はかまわないし、毎月高い保険料を払うプランに入っていれば、おそらく、最高の治療を受けられるでしょう。
日本でも保険外自己負担による治療ということもあるかと思いますが、アメリカは支払う金額のスケールが違います。
貧富の差によって人の命も左右されるというのは恐ろしいことです。

また便利なことの一つに、自分の担当医と E メールでやり取りができるので、 いちいち 往診に出かけなくてもいいというところです。簡単な風邪などは E メールで医師と連絡をとりあいます。先生が直接お話ししなくちゃいけないという時には テレビ電話、あるいは電話で行います。検査が必要という時には予約を取って病院に行きます。
1月に呼吸器系に影響を与えるひどい風邪をひいて、肺炎になってしまいました。私にとって肺炎は初めてではないので、Eメールでこういう症状なので、抗生物質を処方してくださいと連絡したら、コロナ、RSVそして年齢も関係しているのでしょう、すぐに電話がかかってきて、「今日か明日中に病院へ来てください。医師が直接診察したいとのことです。」と予約を入れてくださいました。
カイザーのウエブサイトに私(患者全員)のページがあります。ユーザー名とパスワードを入れて、私のページに行きます。私のページには 私に処方された薬が全て記載されていて、サイトから薬をオーダーできます。急ぐときには病院まで取りに行きますが、急がない薬、例えばいつも飲んでいる胃薬とか、お腹の薬はオーダーすると郵便で送ってくれます。
カイザーのいいところはトランスペアレンシー をとても大事にしてるところだと私は思ってます。トランスペアレンシー、 日本語だと 透明性ということでしょうか。

ある日、 朝起きたら左目がかすんで見えなくなってました。 顔を洗ってみたり色々してみたんですが 良くなりません。 これは大変だと思って、予約を入れて病院に行きました。担当医は中国系 アメリカ人の若い医師です。
「目の真ん中に外側が薄い緑で中が濃い紫の四角い像が見えて、目がかすんで見えないんです」と言ったら、OCT(光干渉断層計)で イメージ写真を撮って、散瞳検査(目に薬を入れて、瞳孔を開いて眼底を詳しく見る検査)をした結果、「どこも悪くないです」と言うのです。
「どこも悪くないって言っても、見えないんですけど。こんな状態で生活できません」とパニック状態で言いました。
片目が見えない状態で 一生過ごせない、担当医を替えなくちゃいけないかもと内心思いながらも、 頑張って「 先生の ズボンが右目だったらブルーに見ますが 、左目 だったらグレイに見えます」 って言ったんです
そしたら 「じゃあ、もう1度見てみます」と検眼鏡の前に座りました。
「あっ」と言って「 ちょっと待ってて、隣の先生にも見てもらうから」と、何か見つけたようで隣の 先生を呼んできました 。
「あー、これは後発白内障で、時々あるケースです。 僕の患者さんも同じ症状で、レーザーで直しました。患者さんはほっとしてましたよ」」 とハンサムな先生。
「 この先生だったら良かったのに」と思ってたら、「 じゃあ、これからYAGレーザーをしましょう」と私の先生。レーザーの器具がある部屋へ行きました。パチンパチンパチンと音がしてましたが、痛くはありません。
家に帰って2日ほど、よく見えませんでしたが、3日ぐらい経ったら見えるようになって、ほっとしました。その後 、2週間ぐらい経ったら、 今度は目の奥に鈍痛があって、真ん中に濃い紫の点が見えるので、また同じ先生の診察を受けに行きました。
「目の奥が痛くて、真ん中に濃い紫の点が見えるのですが」
「 レーザーをしたぐらいで、そんなに痛いはずがない。黒い点は飛蚊症でしょう」と先生。
「飛蚊症なら点が動くはずです。でもこの黒い点は一か所に止まって動きません」と私。

「 医師たちは 専攻が 文学部じゃないから、薄緑の真ん中に濃い紫色があってというような説明をしてもわかってくれないよ。明確にこれだって言った方がいい」と娘に言われたのを思い出して、「もしかしたら黄斑円孔?黄斑に穴があいてるかもしれない」ときっちり 言ったら見事に反応しました。

某サイトによると「黄斑円孔の初期段階では、視界が歪んで見えたり(変視症)、中心部が暗く見えなくなったり(中心暗点)します。 これは、黄斑の穴が空いた部分に光が投影されなくなるためです」とあります。

「じゃあ、OCTを撮ってチェックしましょう」ぎょっとした顔で言いました。 OCTの結果、黄斑が 腫れてるということがわかりました。
「YAGレーザーに反応したんですね」といって、点眼薬を処方してくれました。 点眼したら良くなりました。

カイザーの私のページに担当眼科医の診察レポートが載っているのに気が付きました。 その先生の診断後のレポートに私が「非常に ヒステリックだった」書いてありました。片目が霞んで見えなくなってるのに、どこも悪くないといわれて、ぎょっとした私の反応をヒステリックと見てたんですね。
もう一つは、今年の冬にひどい風邪をひいて肺炎になってしまい、医師の診断を受た時のレポートに「栄養状態は良い。精神状態は安定している。質問に対する受け答えもノーマル」とありました。若いけれど、とってもいい先生で親切に的確に見てくださいました。
「栄養状態が良いって、私が太ってるってこと?」と娘に言ったら、仕事柄こういったレポートを何度も見ている娘によると「要するに良い食べ物を食べて健康な状態であるということ。 精神状態も必ず見てて、安定してるか、イライラしてるか、不安になってるか 、そういうことを見る」のだそうです。
正直に(洗練された文体からは程遠い)先生が書いたレポートを患者が見ることができるなんて、カイザーの「透明性」というポリシーがすごいなと思いました。
先日、目のチェックに行きました。帰ってきてからレポートを見たら アシスタントの方(看護師?)が「今日は 目の調子が悪くて、よく見えません」って言った(本当にそう言いました。)と書いてありました。
先生との会話はヒステリックと思われないように冷静に お話したつもりだったので、先生のレポートにはどのように書かれてるのかなとチェックしてみました。 なんと、 先生が直接的表現で書いてあった コメントは全て消えてました。
こういう症状で、こういう目の検査をして、こういう処置をして、こういう薬を出しましたと、医学的な事項だけが書かれていました。
透明性を誇る カイザー でも、そこまではもう見せない(患者は見ることができない)ことになったんですね。
目の件で学んだのは、医師に症状を説明するときは直接的な言葉を使うこと、自分の体は自分で守るという方針を貫かなきゃいけないということでした。
次にこのような大変な目の病気が起こった時に、先生が大丈夫 とか言い出したら 、他の医師にセカンドオピニオンを聞きに行こうと 決めています。
自分の症状を正確に知ることができるのが嬉しいです。お医者さんの言う通りに従う のではなくて、私もいろいろ調べて、先生とお話をしてそれで結論を出すというやり方で行こうと思います。
カイザーが透明性のある病院なのが気に入ってます。

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