pearl harbor gettyimages RSZ


12月7日の朝、テレビのニュースを見ていたら、真珠湾攻撃の80周年記念日のニュースが報道されていました。

1941年12月7日(日本時間だと12月8日)は、日本がハワイのオアフ島真珠湾にあるアメリカ海軍基地を日本海軍の空母機動隊が攻撃した日なのでした。この攻撃でオアフ島は大きな被害を受けて、2400人が亡くなりました。この攻撃から80年がたって、アメリカ海軍に勤務?していた生存は少なくなりましたが、100歳を超えた男性が取材に応じていました。

アメリカでは、攻撃時に日本側は交渉打ち切りの最後通告をアメリカ側に手交してもおらず、日本が奇襲攻撃をかけた日とされています。真珠湾攻撃の80周年記念のテレビ番組では「アメリカはこの戦争は始めていない」とアナウンサーがきっぱりと言っていました。

日本側にとっては、いろいろな事情が重なって通告ができなかったという説明もあります。

ハワイはもちろんアメリカのあちこちで、毎年、真珠湾攻撃で亡くなった人を偲ぶ行事が続けられています。

この日をきっかけにアメリカが参戦して悲惨な終わりを迎える第二次世界大戦が始まりました。

今から約30年以上前にカリフォルニアへやってきたばかりのころ、私は真珠湾攻撃を知りませんでした。学校の歴史の授業で教えられなかったのです。田舎の学校で教育のレベルが低かったので教えられなかったのか、当時の文部省が世界第二次大戦については教えないという方針を打ち出していたのか、私にはわかりません。

ドイツではヒットラーの犯した残虐な行為をすべての生徒にしっかり教えて、二度とこういう人物を選んではいけないと徹底した教育をしています。日本は第二次世界大戦が始まる前後の軍事主義に傾いていった状況をしっかりと教えているのかな?

あるサイトによると「日本の教科書では?」という項で
アメリカ側の提案(ハル=ノート)は……満州事変以前の状態への復帰を要求する最後通告に等しいものだったので、交渉は絶望的になった。12月1日の御前会議は対米交渉を不成功と判断し、米・英に対する開戦を最終的に決定した。12月8日、日本陸軍が英領マレー半島に奇襲上陸し、日本海軍がハワイ真珠湾を奇襲攻撃した。日本はアメリカ・イギリスに宣戦を布告し、第二次世界大戦の重要な一環をなす太平洋戦争が開始された。(『詳説日本史』)と記載されているとのことです。

私の記憶では歴史の教科書にキノコ雲の写真が載っているのを見て、早くこの時代について知りたいなと思っていたのですが、その時代になる前で学期が終わっていました。

日本の現代の歴史教育ではこの時代を学校では教えているのかしら?

30年前、私はサンタローザのコミュニティカレッジに通っていたのですが、12月7日の朝、スポーツカーを運転しているお年寄りが二車線を右へ入ったと思うと左へ入るというギザギ運転してるのです。

「危ないなあ、このお爺さん」と思って車を見ると後ろに「Never forget Pearl Harbor]と書いたステッカーが貼ってありました。

「Pearl Harborってなんだろう」と思いながら、スポーツカーを避けて運転しました。

カレッジで「エミコ、私のお母さんが、今日、パールハーバーのパーティを開くから来ない?」と女友達のバルが誘ってくれました。パールハーバーが何かを理解してない私はパーティと聞いて早速出かけたのです。

お母さんの家のリビングルームの壁に真珠湾攻撃の新聞記事がたくさん貼ってありました。タンカーが燃えて大きな黒い煙がもくもくと出ている写真もありました。

ぼんやりと記事を見ている私にバルのお母さんが挨拶にやってきました。

「この日、ハワイに住んでた私は子供だったのよ」

「まだ覚えてるんですね」と日本が奇襲攻撃をかけたことを知らない私はチンプンカンプンな返事。

その頃の私には新聞記事をさっと読むほどの英語力がありませんでした。

「なんか沈んだパーティだな」とアホな私。

バルもおそらくパールハーバーが何か知らなかったのだと思います。日本に関係してることだからというので、日本人の私を好意で誘ってくれたのでしょう。

パーティに出席してた人たちはバルのお母さん以外は、誰も近づいてきません。(当たり前です)

バルも近づいてこなかったから、お母さんに叱られたのかも。

「あんたの国が奇襲攻撃をかけたんだよ!」って怒鳴られなくてよかった(汗)

当時のフランクリン・ルーズベルト大統領が「悪名高い日」と呼んだその日の出来事によって、アメリカの第二次世界大戦への関与が始まって、その後、数十年にわたる世界的な米国の軍事影響が続くことになります。

真珠湾攻撃を受けたアメリカ人はファシズムと戦うためにと団結しました。 冷戦後、アメリカは共産主義との世界的な戦いを繰り広げたし、 最近、イラクとアフガニスタンでの戦争へと米軍は拡大されていきました。

真珠湾攻撃の歴史を研究している当時6歳だったハワイ在住の女性は、アメリカ人は1941年の真珠湾攻撃から60年後の2001年9月11日の同時多発テロに真珠湾奇襲攻撃と同じように大きなショックを受たと述べています。 真珠湾攻撃の物語を収集する30年間の仕事の中で、「忘れられがちな女性や子供、民間人など、戦争の影響を受けたすべての人の生活を再考してほしい。 戦争はすべての人に影響を与えることを人々に知ってもらいたい」と話しています。

「戦争はこりごり。日本は二度と戦争をしてはいけない。ひどい目に合うのは一般人なのだから」と戦争絶対反対の母の声が聞こえてきます。

私にとって真珠湾攻撃は、自分が住むことになる国の歴史を前もって学ぶことをしなかった若気の至りを思い出す日です。

Getty Image の写真を使わせていただきました。