ソノマの暮らしブログ

カリフォルニア州ソノマに住んで25年。第二の故郷と決めた美しいワインカントリーで、ワインを追いかけて暮らしています。

アメリカで内視鏡検査

両親が江別で元気に暮らしていたころのことです。

「お父さんは何回も胃カメラを飲んでるもんだから、自分で麻酔のスプレーをして喉から管を自分で入れてたよ」と母が話してました。

「胃カメラを飲むっていうのは、意外と簡単なんだなあ、日本の技術はすごいなあ」と思って聞いてました。

先日、アメリカで胃カメラを飲むことになりました。

私はKAISERという保険に加入しているので、KAISERの病院で検査を体験したので、他の病院ではどういう感じなのかはわかりませんが、例外なく鎮静剤を点滴で注入するようです。

このところ胃痛が頻繁に起こって、担当医の指示で胃酸を抑制する薬を飲んでいたのですが、痛みが取れませんでした。

医師とのやり取りはEメールとテレビ電話です。

「薬が効かない場合は、内視鏡検査をしましょう」と言われたのですが、コロナ感染が最高潮に達していたころなので、病院へ行くことは避けてました。

担当医が処方してくれた胃酸を抑制する別の薬を飲んで痛みが取れることを期待したのですが、やっぱり痛みは取れません。その旨を報告したら「内視鏡検査をしましょう。心の用意ができたら連絡ください」とメールで返事が来ました。

コロナ感染率がぐんと低くなったので、「痛みの原因が知りたいので内視鏡検査を予約してください」とお願いしたら、早速、スケジュールを決める方から電話が来て、7月2日午前10時15分に「胃カメラを飲む」ことになりました。

KAISERから検査の1週間前に長ーいメールが入りました。

検査の2日前にコロナのテストを受けること。6月30日午前11時10分にテストのスケジュールが入りました。

検査の前日6時間前から食物を取らないこと、水分は検査の3時間前から飲まないこと、当日は運転してくれる人と一緒に来ること、病院内は常時マスク着用なので、マスク持参することという指示です。

夫の運転で午前10時に到着、ロビーで待つこと20分。

大柄な男性の看護師がロビーにやってきました。

「ロビーで待ちますか?それとも外へ出てますか?」と夫に聞いてます。

「ロビーで待ちます。ここで仕事してます」とラップトップを膝に置いた夫が答えたら、「あっ、それじゃ携帯番号を聞かなくてもいいですね。検査にかかる時間は5-10分程度なんですが、鎮静剤の点滴をしたり、それが消えるまで待つなどで、2時間くらいかかります」

手術準備室みたいな部屋のカーテンで囲まれたベッドへ案内されました。

同室にあるトイレを指さして「トイレに行く?」

「うーん、大丈夫だと思う。でもやっぱり行きます」

「安心のために行っておく?」優しい声で言ってくれました。なんと優しい看護師(男性)さんでしょう!

手術の時と同じガウンに着替えてベッドに横たわりました。カーテンでぐるっと囲まれているのですが、中は広々としてます。

昨夜、胃痛でよく眠れなかったので、どうせ待たされるのだろうからここで寝ようと思ったのですが、天井の電気が明るすぎで眠ることができずにがっかり。ここでもかなり待たされましたが、看護婦さんがやってきました。

「ハーイ、待たせてごめんなさい。私の名前はキャシーです。質問しますね。」とフレンドリーです。

ベッドの横のデスクにコンピューターや医療器具が設置してあって、椅子に座ったキャシーが、現在飲んでいる薬、アレルギー等について質問をしてコンピューターに入力していきます。

すぐに戻るからと言って消えたキャシーは、またしばらく戻ってきません。

戻ってきて、「今日は金曜日、明日から休暇なのに、忙しいわあ」と苦情というよりフレンドリーに話しかけてきます。

「休暇はどこへ行くの?」

「テントを持って湖にキャンプに出掛けるの」と楽しそうです。

その間、左腕に血圧を測るためのベルト?を巻き、右腕には鎮静剤を点滴で注入するための針を一発で決めました。

余談になりますが、私の血管は細くてよく見えないのです。日本にいるときは必ず数回やり直しでした。一度は手の平の血管に刺されたことがあります。

カリフォルニアでの経験では、血液検査とか点滴の際に、どの看護師も一度で血管に針をスパッと刺すのです。

一度だけ、血液検査に行ったときに、日本女性が私の血液採取の担当でした。日本語を話す生粋の日本人です。カリフォルニアで訓練を受けたはずだから、一回で血管に刺すよねと信じていたのですが、なんと3回刺されました。

日本人の女性は優しすぎて、ぱっと刺させないのかなあ、それとも日本女性の指の力が弱いのかなあ、あれこれその理由を考察?してみたのですが、、、。答えはありません。

ベッドごと検査室に運ばれました。本当に手術を受けるときと同じなんです。

「胃のどこが痛いの?」検査をしてくださる小柄な女医さんが聞きました。

「みぞおちあたりです」

「痛みの原因は胃からだけとは限らないからCTスキャンもしましょう。予約の手配をしておきますね」と、この場でパット決めました。てきぱきとした素敵な女医さんだなあと感心してしまいました。

「ちょっとまずいけど、口の中を麻痺するためになめてください」

「お腹がすいてるから、何でも美味しく感じるかも」と私。

女医さんは大きめの綿棒を私の口の中に入れながらフフフと笑いました。

おなかが空いていたけれど、美味しいとは感じませんでした。

ここまでずうっとマスクをしたままでしたが、ここではマスクを少し下にずらして、口の中に口が閉まらないようにしてカメラのチューブを通す器具が入れられました。

ここまでしか覚えていません。

鎮静剤が効いて、深い眠りに落ちたのです。

目が覚めたのは、手術準備室のような部屋の検査前に横たわっていたときと同じ場所のカーテンが閉まったベッドの上でした。

検査後の指示を書いた数ページの紙が渡されました。

第一行に検査して下さった女医さんの報告がすでに書かれています。

今日の検査で私が見たもの:

*胃に炎症が起きている。

*胃と食道の組織を採取(バイオプシー)しました。

よろよろしながら服に着替えて、キャシーが持ってきた車椅子に乗って病院の出入り口に向かいます。

レイが車のエンジンをかけたまま待っている自家用車に乗り込もうとしたら足元が怪しい私を、キャシーが助けてくれました。

働いている人たちはみんなきびきびしていて親切でした。

午後2時ころに家に着いても、まだ眠いのです。眠さは夜まで続きました。

父が胃カメラを飲んだ話とは違って、アメリカで飲んだ胃カメラは一日がかりの検査でした。

アメリカでは患者の不快さを徹底的に取り除くということなんでしょうか。

次はCTスキャンの初体験です。

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716 ヒット

コロナワクチンを接種したら宝くじ券がもらえる。

6月15日、カリフォルニアはコロナワクチン接種が終わった人は、少しの例外を除いて、マスクの着用なしでオーケーになりました。

「今日からハグができますよ!」と州知事が宣言。

商店、レストラン、ジム、映画館、ボーリング場、ゲームセンター、スケートリンクなどでのマスク着用が必要なしとなったのです。

ファイザーとモデーナは2回目の接種が終わって2週間たっていること、一度の接種でいいジョンソン&ジョンソンは接種後2週間たっていることが条件づけられています。

ワクチン接種をしていない人は、今まで通りにマスクを着用しなければなりません。

2歳以下の子供、身体に障害があってマスクの着用ができない人、手話が必要な人などが、マスク着用の対象外となっています。

ただし飛行場、飛行機内、地下鉄、電車、バス、病院などは、今まで通り接種が終わっている人もマスク着用が義務付けされています。

ヨーロッパ、EUではワクチン接種が終わった人にパスポートを発行しますが、アメリカは州政府も連邦政府もワクチンパスポートを発行することはしません。反対派が訴訟を起こすことが必須だからです。マスク着用の規則に反対してあちこちで訴訟があったことから予測できます。

マスク着用必要なしとなったスーパーとか映画館とかがワクチン接種が終わっているかどうか、お客さんに確かめることは義務付けされていません。義務付けられて、お客さんの一人一人に確かめようとすると、マスク着用反対の人から殴られたり怒鳴られたりするからです。

店舗等が自主的にマスク着用を方針とすることについては、店舗等の自主判断に任されます。

スターバックスに行ってみました。入り口のドアに「ワクチン接種が完全に終わっている人はマスクを着用するかしないかは、各自の判断に任せます」と書かれた紙が貼ってありました。中に入ったら、数人のお客さんしかいませんでしたが、みんな(私も含めて)マスクを着用してました。室内の床に描かれていた2メートル離れて列を作る印は、消されていました。コロナ前のように、室内で腰かけてゆっくりすることもオーケーになりました。

レストランが室内でサービスできるテーブル数が50%とか25%となっていたのですが、これもなくなりました。

ベイエリアの多くの人たちは、州知事の宣言を聞いた翌日も、マスクを着用しています。私もその一人で、スーパーの中ではマスクを着用することにしています。まだまだ完全に安心していないからです。

ここまでは納得です。

連邦政府は7月4日の独立記念日に全員がマスクなしで楽しむことができるように、ワクチン接種率が70%になることを目指しています。そのゴールに到達するためのプロモーションの一環として、州によっては接種をするといろんなご褒美がもらえるという企画が実施されています。カリフォルニアも協力して10人に150万ドルの現金が当たる宝くじ券がもらえます。他の企画では30人に5万ドルが当たる宝くじが渡されています。既に何人かの人が5万ドルを手に入れてます。

さらに6月17日からワクチン接種を終えたら、自動的に100万人が50ドルのギフトカードがもらえるくじ引きに自動的にレジスターされます。

まだあります。州知事はこのプログラムの一環として6つのヴァケーションパッケージを加えました。

私が属している健康保険システムの一つであるカイザーもこのプログラムに協力しています。7月9日までに接種を終えた人に、ジムの会員券、ウエルネス・リトリート、ヘルシーな食事を自宅に届ける、テーマパークとナショナルパークへのトリップ、健康器具などが当たるというものです。

なんとしても接種率を上げるための奨励策として企画されたものです。

6月15日の発表では、カリフォルニアで完全に接種が終わった人は46%、1回だけ終わった人を含めると59%と、意外に低いので驚きました。

集団免疫を得るには人口の70-90%の人が接種を終えていなければなりません。そのために政府が打ち出した苦肉の策です。

「受けたくない人は受けないくてもいいんじゃない。コロナに感染するのは自業自得なんだから」と、私は思ってました。

コンピューターとにらめっこして、苦労してワクチン接種の予約を取得した私は何だったんだろうなんて一瞬考えました。

でもワクチン接種をしていない人がコロナに感染したら、その人たちの体内で変異株が発生して、もしかしたら、私たちが受けたワクチンは変異株に効かなくて、変異株のコロナに感染してしまう可能性があるんですね。そうなったら、また外出自粛の元の暮らしに逆戻りです。だから宝くじで釣ってもワクチン接種をしてほしいのだということなんですね。

ラッキーにも比較的早い時期にワクチン接種ができた時のほっとした気持ちが忘れられません。宝くじよりか、ワクチン接種が一日も早くにできたことに感謝です。

いつワクチンの接種が受けられるかわからない日本の方たちが少なくないと聞いています。その方たちにとっては、ワクチンを接種をしたら宝くじがもらえるなんて信じられない話かと思います。

日本も「ワクチン接種をしたらギフト券がもらえるよ」って、政府が呼びかける(そんな日は来ない?)日が来るといいですね。

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796 ヒット

黒人の母の哀しみと強さ

大柄な黒人男性、ジョージ・フロイドを白人警官が首の後ろに9分以上も膝を押し付けて、窒息死させた事件の有罪判決が出されたことは、日本でも報道されたかと思います。

これで警察官の黒人の対応が少しは変わるかと思ったのですが、変わることがなく、数日後に、黒人男性を警官が射殺する事件が、数件起きました。

警官が黒人(特に男性)を射殺する事件は、今始まったことではありません。携帯電話のビデオで目撃者が経過を記録することが出来なかった時代にも起きていました。でも映像がないのでTVで取り上げることもなく、証拠の提示ができなくて、警察側の都合の良い主張が認められて、被害者は泣き寝入りするしかなかったのです。

日本で警官が質問もしないで一般人を殺すなんてことは、考えられないですよね。

射殺された理由が20ドルを偽札と知らずに使おうとした、車の窓に消毒スプレーを吊り下げていたことから警官が車をストップしたら車の登録期限が切れていた、捜索令状を渡しに来た(ライフルで後ろから射撃)と、たったそれだけのことで射殺されています。

黒人(特に男性)は、ガンを持ってる、犯罪を犯している恐ろしい人種だというイメージが社会的に定着しています。私もそのイメージを持っていて、ちょっとだけ黒人男性を恐れていました。実際、ギャングやドラッグディラーが居住している地区は危険なので、一般の人が行くことはありません。

黒人を差別するっていうことは、日本人の私にとって、黒人と対面したときに、「うわ、苦手」と、わざと近寄らないようにするとかといった感情的なものと思っていましたが、実はそれだけじゃないのですね。人種差別を基にした白人優先主義を貫いた政府の長い政策が関係しています。

黒人が住む危険地区、あるいは黒人だけが(間接的に強要された)住む一画は、学校もボロボロ、新鮮な野菜や果物を買うことができるスーパーなんてありません。公害にさらされた一画に住んでいる貧しい黒人がたくさんいます。

白人が住む居住地の不動産は黒人には売らないか、バカ高にして買えないようにする。

同じ仕事をしていて、能力が同じでも白人のほうが早く昇給する(これは女性の場合にも当てはまります)といった社会の構造的な差別がまかり通っているのです。このことを書くと長くなるので、省略します。

最近、警官に射殺された男性たちは大きな犯罪を犯した人たちではありません。でも警官にとってはどの黒人も一般的なイメージで対処するのだと思います。黒人が運転する車をストップしたときに、すでに警官の一人が銃を構えていることも稀ではありません。

普通に暮らしている黒人の男性たちは、警官に車を止められたら、殺されることを覚悟しているそうです。皮膚の色が違うということだけで、大学の教授であろうが、医者であろうが、国を守る兵隊であろうが、数度は、そういった危険な経験をしているとのことです。多分、オバマ前大統領も似たような経験をしていると思います。

黒人の母親たちは息子が幼いころから、警官に止められたら、抵抗しないで礼儀正しく接すること、運転中に止められたら、両腕はハンドルにのせておくこと、運転免許証を自発的に探さないこと(ガンを探していると勘違いされて射殺される)等を教えています。

そして母親は息子が家を出るたびに、無事に帰ってくることを祈っています。

不法な行為に対して公正な裁判を要求するのは当然です。

「警官が罰せられても、私の息子は帰ってこない」

最近、射殺された20歳の青年(一人息子)の母親は涙を流していました。

子供を亡くした母親の哀しみは世界共通です。

黒人の若者が殺害される事件は昔から起きていました。

母親の哀しみと強さが記録に残っている二つの大きな事件があります。

1955年8月、14歳の黒人の若者、エメット・ヒルはシカゴからミシシッピーの家族を訪問していました。大都市に住んでいる若者なので、差別が徹底している田舎の村だということが意識になかったのでしょう。従兄弟に見せるために敢えて雑貨店の前で白人の女性に近づいて見せたのです。その4日後に、白人女性の夫と雑貨店のオーナーが、若者を連れ去って、それはむごい暴力をふるって殺害して川に放り込みました。浮き上がった死体があまりにも無残で、若者の叔父は、唯一、イニシャルの入った指輪から甥だと確認できたのでした。

警察は早急に遺体の処理を主張したのですが、若者の母親、メミー・ブラドリーは遺体をシカゴに送ってくれることを要請しました。

一人息子のあまりにもひどい遺体を見た母親は、棺をオープンして葬儀をすることを決心しました。人種差別者がいかに残酷な暴力で息子を殺害したかを、世界の人に知ってもらいたいということからでした。地元の雑誌が死体の写真を撮って掲載したことから、主流マスコミが関心を寄せて、大きく報道しました。

全員が白人の陪審員は、結審の1時間後に、殺害者の二人に無罪の判決を出しました。

アメリカ国内で大きな怒りがわいて、黒人の市民権運動の機動力になったのです。

2017年にこの事件を追いかけて出版するために、著者が若者に侮辱されたと夫に話した白人女性をインタビューしたところ、エメットは彼女に一切触らなかったし、脅かしたりはしなかったと告白しています。

1981年のことです。それほど昔のことじゃありません。20世紀のリンチです。

KKKのメンバーが19歳の黒人青年、マイケル・ドナルドを殴り殺して木に吊しました。その理由は、警官が殺されて、黒人を容疑者として逮捕したのですが、陪審員の意見不一致のため、未決定審理になって容疑が釈放されたので怒り狂いました。その怒りを表明するためにマイケル・ドナルドを殺害したものです。この青年は煙草を買いに家から数ブロック離れたお店へ歩いて行ったのを、二人の殺害者が若者を車に無理やり入れて、殴り殺したものです。

マイケルの母親、ブーラ・マエ・ドナルドは悲しみに打ちのめされました。

1955年に白人女性に近づいたという理由で殴り撲殺されて木に吊るされた犠牲者の母親に共鳴して、棺をオープンしたままの葬儀を行いました。青年の顔が酷く変形するほどに殴られた遺体を葬儀の出席者、マスコミに見てもらって、いかに残虐な行為かを知ってもらいたいという意図からです。

犠牲者が住む小村、モビルの警察は犯人逮捕の捜索をしないことを知った母親は、息子のために犯人を捜すことを決意したのです。モビル村の警察はKKKのメンバーが犯人であることを知っていたにもかかわらず強硬な捜索をしませんでした。殺害者の一人は告白して罪を逃れました。

母親のブーラはモビル村の黒人コミュニティと協力してデモを繰り広げ、名の知れたジェシー・ジャクソンをはじめとする公民権運動の活動家の関心を呼び、この運動に参加したのです。

ついにFBIが捜査に乗り出しました。それでも操作は進まず。ようやく1983年、息子が殺害された2年後にアラバマのKKKのランキング2番目の白人男性の息子、ヘンリー・フランシス・ヘイを逮捕しました。陪審員は殺害者に死刑の判決を出しました。アラバマで黒人男性を殺害した白人が死刑の判決を受けたのは1913年以来でした。

ブーラは彼女の息子を殺したのは殺害者だけの責任ではないと考えて、KKKを訴えた経験がある公民権専門のモリス・ディズ弁護士に会いに行きました。

マイケル・ドナルド殺人事件はKKKの組織が命令したもので、KKKの組織の政策だと考えたました。不法な死だとしてKKK組織を連邦裁判所に訴えたのです。

この事件に関与したKKK(United Klans of America)はアメリカにおいて最も大きな組織の一つでした。この組織はアラバマ州で一世紀にわたって黒人虐待をしてきました。この組織が1963年に黒人の教会を爆破して女の子3人が死亡した事件がよく知られています。

マイケルの母親、ブーラは裁判で勝ちました。1987年に全員が白人の陪審員だったのですが、結審から、たったの4時間で判決を出したのです。

「United Klans of Americaと数人のメンバーに総額700万ドルの支払うこと」という判決内容でした。

「私にとって、お金は何の意味もありません。私の息子は帰ってきません。有罪判決が下って嬉しいです」静かな声で話しました。

United Klans of Americaは700万ドルを払うお金がなくて、アラバマの本拠地のビルを彼女に渡すことになったのですが、その建物の価値はなんと22万5千ドルだけでした。支払いを命じられたメンバーの中には支払うことができな人もいて、賃金が付け合わせられ、彼らの財産が押収されました。

嘆き悲しんだマイケルの母親、ブーラ・マエ・ドナルドの嘆き、哀しみ、怒り、強さが、残酷なリンチ事件が再び起きることを防いだのです。

母親のブーラは歴史的な判決が出された翌年、1988年に亡くなりました。身も心も疲れ果てたのでしょう。息子のところへ逝きました。

「彼女の意思は岩のように硬かった。決して撤退しませんでした」と彼女の弁護士は話しています。

現在も黒人のお母さんたちが哀しみをばねに、正義を求める戦いを続けています。黒人男性(黒人全て)の命の尊さを警察が理解する日が来ることを願っています。バイデン大統領は時間がかかるでしょうが、対策を打ち出すことでしょう。

*KKKはアメリカの白人至上主義者のテロリスト憎悪グループ。その主な標的は、アフリカ系アメリカ人だけでなく、ユダヤ人、移民、左翼、同性愛者、カトリック、イスラム教徒、無神論者です。

AP photoを使わせていただきました。

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