父の49日と納骨を無事に済ませて、昨日ソノマに帰りました。
青空ではなくて雨が降ってます。でもそのおかげで旱魃の心配がなくなりました。

トランプの無謀な移民政策は日本でも大きく取り上げられていましたが、ワシントン州の連邦判事がこの政策は憲法違反という判決を出したことから、ニュース番組はこの話題ばかりを報じています。

サンフランシスコ空港の入管はこの政策のために緊張感が漂っているかもしれないと思ったのですが、通常通りでした。

もし日米の関係がこじれていて、この政策が日本人も向けられていたら、グリーンカード(永住権)所有の私も入国(あるいは搭乗)を拒否され、家族と引き離されて、いつ会えるのかと、不安でいっぱいだったことでしょう。トランプ大統領の結果を想像しない浅はかな政策のせいで、泣かされた家族が多くいるはず。一国の責任者次第で人生を変えられてしまうという現実。ぞっとしますね。

サンフランシスコ空港に、入国を拒否された人が出た場合の法律相談をするボランティアの弁護士が待機してました。素晴らしいの一言に尽きます。

 


本題です。1週間実家に滞在して思い出がたくさん詰まった家にさよならする予定で江別まで行ったのですが、なんと水道管が凍結(場所によっては水道管にひびが入って氷が張り付いていた)、台所の蛇口も割れてました。
使っていないので錆が固まっていて、なかなか水が出てこなかったりで、直すのにかなり費用がかかります。直し始めたのですが、直すのを途中でやめて、この家に泊まることを泣く泣く断念。

ホテルを点々として、日中、遺品の整理をするしかないと覚悟しました。でも心が痛みます。相棒にメッセージを入れたら、「この家に泊まることが出来る最後だよ、本当にそれでいいのか。たとえ10万かかっても一晩でも泊まれるなら両親の魂のためにも泊まりなさい。悔いを残さないことが一番大切でしょう。そして知人親戚を呼んでさよならのパーティをしたらいい」とげきを飛ばされました。

眠れない夜を過ごして、決心しました。修理を再開してもらいました。滞在日数の残り3泊4日を実家で過ごせることになりました。

だれも住んでいない家なのに、玄関を開けると昨日まで住んでいたような暖かいほのぼのとした気持ちになりました。
「ただいま!」無意識に声に出して言ってました。

写真の整理やら遺品を送る準備をしながら、友人にも会ったりの忙しい日々でした。

今、こういう状態で空き家になっている家が日本にはたくさんあるとのこと。いつまでも空き家のままで置いておくことはできないので、処分するしかありません。

最後の夜は両親がお世話になったお隣の家族と実家で夕食。両親が天国から微笑んでくれてたと思います。

娘を連れて30年以上、毎年最低1度、多いときは3度も帰っていた家。私たち(特に娘)を迎えてくれたときの両親の笑顔、、、。思い出がたくさん詰まっています。
雪が降る朝、後ろ髪を惹かれる思いで実家を後にしました。

この次に日本に帰った時には帰る家がありません。

人生には分岐点があります。どちらを選ぶかで一生が大きく変わります。私がアメリカへ来たのも分岐点での決断でした。

実家(両親)との別れは大きな分岐点ではありませんが、人生のひとつの節、時代が終わりました。